紀元前212年:ハンニバル到着、ローマ軍カプアから撤退
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「カプア包囲戦」の記事における「紀元前212年:ハンニバル到着、ローマ軍カプアから撤退」の解説
カンパニアに入ったローマ軍はカプア周辺の略奪を行ったが、マゴの率いるカルタゴ軍騎兵とカプア兵の奇襲を受けた。ローマ軍は蹴散らされ、1,500が戦死した。この後ローマ軍はより注意して行動するようになった。ハンニバルもまた弟のマゴと合流すべくカプアへ向かった。ハンニバルには、彼の不在中に起こった戦闘がカプアに有利であったため、カルタゴ軍の猛攻にはローマ軍は耐えられないとの確信があった。戦闘が始まると、カルタゴ軍騎兵の連続攻撃にローマ軍は苦しみ、また弓矢での攻撃に圧倒されていた。最初のカルタゴ騎兵攻撃に衝撃を受けたローマ軍の被害は甚大であったが、ローマ騎兵の反撃によりどうにか大敗北は避けることができた。 この戦闘の後、2人の執政官はハンニバルを避けてカプアから撤退した。翌日の夜に2人は分かれ、フラックスはクーマに、プルケルはルカニアに向かった。ハンニバルはプルケルを追撃し、その殿軍を撃滅して16,000を殺したが、プルケルの捕捉には失敗した(シラルスの戦い)。
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