紀元前210年までの南イタリアの状況
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「ヘルドニアの戦い (紀元前210年)」の記事における「紀元前210年までの南イタリアの状況」の解説
アルプスを越えたハンニバルは紀元前217年には南イタリアに侵入し、カンナエの戦い(紀元前216年)でローマ軍に大勝した。この勝利により、カンパニア、サムニウム、アプリア、ルカニア、ブルティウムおよびマグナ・グラエキアの都市国家の中にはローマとの同盟を解消してカルタゴ側に付くものが出てきた。その中の1つがアプリア北部のヘルドニアであった。すでに紀元前212年にはハンニバルはヘルドニアでローマ軍に大勝しており(第一次ヘルドニアの戦い)、他にも多くの戦いで勝利を収めていたものの、ローマとその同盟国との関係は大きく損なわれることはなく、徐々にではあるが確実に反撃を続けていた。 第一次ヘルドニアの戦いでは、法務官(プラエトル)グナエウス・フルウィウス・フラックスのローマ軍はほぼ全滅した。しかし、フラックスの軍はローマが保有する野戦軍の一部に過ぎなかった。数年に渡るカプア包囲戦は、紀元前211年にローマの勝利に終わり、ハンニバルと同盟していたイタリア半島第2の都市は陥落した。カルタゴ軍がカプアを防衛できなかったことにより、カルタゴ同盟都市の中でのハンニバルの力は弱まった。
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