紀元前211年:プルケルとフラックス、プロコンスルとして軍の指揮を継続
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「カプア包囲戦」の記事における「紀元前211年:プルケルとフラックス、プロコンスルとして軍の指揮を継続」の解説
フラックスとプルケルは引き続き前執政官(プロコンスル)として同じ軍団の指揮を執ることになった。また、カプアを攻略するまで、その場を動かないように命令された。カプアの裏切りは他の多くの都市にも影響を与えたため、ローマはその行為に激怒していたが、その富と都市としての重要性のため、奪還した後には再びローマの主権を強制するつもりだった。 1人のヌミディア騎兵が、ローマ軍の包囲を突破してハンニバルに連絡することを申し出て成功した。この例だけでなく、騎兵同士の戦いは、包囲戦中何度も起こっていたが、カプア騎兵がローマ騎兵に常に優越していた。このため、ローマ軍は新戦術を採用することとした。まず優れた歩兵を選抜し、騎兵用の短い盾を持たせ、騎兵の後ろに2人乗りして馬から落ちなくなるまで乗馬訓練を行った。各兵士は7本の投槍を持ち、合図に従って一斉に行動することとなっていた。 ローマ軍の包囲は完全であったため、この訓練は安全に実施でき実戦の準備が整った。カプア騎兵はローマ騎兵に対して、投槍での攻撃を行った。すると合図があり、ローマ軽歩兵は一斉に馬から下りて、その投槍を立て続けに投げつけた。当然ではあるが、カプア騎兵はこのような攻撃を予想しておらず、大損害を受けた。続いてローマ騎兵が驚くカプア騎兵に対して追撃を行い壊走させた。この時から、騎兵に対して軽歩兵が支援する戦術が確立された。この投槍軽歩兵部隊はウェリテスと呼ばれ、その後正式化されてローマ軍の戦術に組み込まれた。
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