第2編の内容
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/04 08:32 UTC 版)
19世紀末以来20世紀初頭の大動乱を経て、現代の頽廃的習気は社会に影響している。影響の下にある人間の特徴は7つ。第1に、道徳観念の著しい動揺と錯乱。第2に、利己の欲望の強烈なこと。第3に、一時の衝動に駆られやすく、感じやすい。第4に、無気力で全く精進を欠く。第5に、次から次へと終始何かしら刺激を要求して新しがる心理がある。第6に、官能偏重の生活。第7に、何事にも懐疑し、信仰がない。我らは早く覚醒しなくてはならない。 およそ人間の精神は常に彼を慰め、彼を導くべき何者かの権威を要するものであり、精神的権威を求むる心、換言すれば師を求むる心は、我々の人格のためには最も根本的な、最も太切な要求である。自己を如何するかは永遠に新しくかつ痛切な問題である。現代人ほど彼自身を求めて居る者も珍しいであろう。その彼の性、彼の我を照見し、之を涵養し完成してゆくには最も切要な方法は師を得ることである。ただし、その師は、我等の隠れた内在の性或いは我に通ずる路を開き、之を発育させてくれる師である。我は何であるか、我は真実に何を有つかを教えてくれる師である。向上の念のある者ならば、先ず深く他人の人格行為を研究せねばならない。人物研究の目的は研究者に依ってそれぞれ異なるが最も深い意義は常に向上のための生活の開拓に在る。20世紀初頭の大動乱の戦後の建設のための当為である。 人物研究において対象を取り扱う際には、その対象が如何なる情調を通じて表されるかに要所がある。価値ある情調に薫ぜられて現出するとき、一切のものより尊い意義が迫ってくる。道徳家が、対象を非常に喧しく極限する態度は、これを採らない。自分の伝えんとする人物を熱情的に過度に粉飾してしまう浪漫派や、冷淡な客観的態度で、人物の暗部にメスを振るう類の自然主義派とは異なる第三の態度の人、中正派あるいは人道派ともいうべき、神格化も獣類化も排除した人間としての温かい眼であらゆる善と悪とを認識する、悪と醜とは要するに善と美とによって浄化さるべきもの、高揚せしめらるべきもの、人間はいつか天国にまで向上すべきものという理想の下に厳正な批判を下す、真実に人物を研究する、師を求むる心に至醇な、自己を完成するに至誠な、衆生とともに病む底の人でなくてはならない。中国人物の研究にこれまでわが国は疎遠であった。日中相互の間に温かい感情の流露がなく、わが国人には昔から中国に対して悪感情が潜んでいた。我々が最新最良の手段を尽くして、わが国ではなく東洋の精神的文化を開拓しなくてはならない。私の立場からは専ら中国の思想と人物との研究をし出した。中国の人物ほど今まで真相の分からない者はない。全く人間的研究を欠いている。我等が先人を伝えるに当たっては、その人は天稟何を与えられていたか、如何にしてその与えられたものを育てていったか、それとも傷ってしまったか、彼等の涙と笑との混じった生活、光と陰との交錯した一生、彼等の遭逢した意義深い出来事、彼等の考えたこと、為したことなどをできるだけその人に為って、我等の人生に痛切な様に、観察し批判し記述して行かねばならない。
※この「第2編の内容」の解説は、「支那思想及人物講話」の解説の一部です。
「第2編の内容」を含む「支那思想及人物講話」の記事については、「支那思想及人物講話」の概要を参照ください。
- 第2編の内容のページへのリンク