第2次ティアマト会戦
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「銀河英雄伝説の戦役」の記事における「第2次ティアマト会戦」の解説
宇宙暦745年/帝国暦436年12月5日~11日。帝国軍と同盟軍の戦い。 同盟軍の兵力は5個艦隊/艦艇48,000隻/363万6000人。総司令官は当時の同盟軍宇宙艦隊司令長官であるブルース・アッシュビー大将、35歳。艦隊司令官はウォーリック、ジャスパー、コープ、ファン、ベルティーニの各中将。総参謀長のローザス中将を含め全員が730年マフィアであり、各人の艦隊指揮能力は非常に高かったが、今回はなぜかアッシュビーが異様に高圧的な態度であったため、各提督(特にコープ)から不平の声が挙がっていた。これが後にヤンが調査を担当するアッシュビーの謀殺疑惑に繋がっていく。なお、当時19歳で軍曹だったアレクサンドル・ビュコックが砲術下士官として戦線に参加している。 一方、帝国軍の兵力は7個艦隊/艦艇56,000隻/将兵650万人(OVA版のデータ。原作小説では同盟側のデータとしてややあいまいな幅が記述されている)。総司令官は当時の帝国軍宇宙艦隊司令長官であるツィーテン元帥、55歳。艦隊司令官はシュリーター、コーゼル(以上大将)、ミュッケンベルガー(グレゴールの父親)、シュタイエルマルク、カイト、カルテンボルン(以上中将)。特にミュッケンベルガーは、この戦いを叔父である故・ケルトリング軍務尚書一族の弔い合戦とみなして必ず勝つよう将兵に訓辞したが、これに対しシュタイエルマルクは「敵将一人を討ち果たしてよしとするのでは、帝国軍の鼎の軽重が問われる」と批判的であった。またそのシュタイエルマルクも冷徹な孤高ぶりから、同僚や上官から敬遠され、さらに平民出身のコーゼル大将と、シュタイエルマルクを除く他の貴族出身の提督たちとは互いに嫌いあっている状態で、両軍ともかなりいわゆる「人の和」を欠いていた。なお、コーゼル艦隊の情報参謀として、クリストフ・フォン・ケーフェンヒラー大佐が参加している。 両軍は12月4日にほぼ正対し、翌5日9時50分から砲撃戦が開始された。艦隊運用による一進一退の激戦が続く中、6日14時30分、コープの同盟第11艦隊の攻撃によりミュッケンベルガーが戦死。その後も同盟軍はカルテンボルンを戦死させ、カイトに重傷を負わせるなど戦果を上げていったが、帝国軍もシュタイエルマルク艦隊を中心にコープの第11艦隊の突破を阻止する、ウォーリックの第5艦隊の後背を突いて迂回攻撃を撃退するなど善戦し、8日から10日にかけて戦況は膠着した。11日16時40分、帝国軍は繞回運動によって同盟軍を挟撃包囲しはじめ、同盟軍第9艦隊のベルティーニは敵攻勢の中戦死した。しかし18時10分、アッシュビーが強引に各艦隊から抽出編成した直属艦隊が帝国軍の左側面から突入して帝国軍を壊乱させ、同盟軍は帝国軍を逆包囲した。ここから50分までが、いわゆる軍務省にとって涙すべき40分となり、帝国軍はコーゼル、シュリーター両大将が戦死、シュタイエルマルク艦隊以外の全軍が総崩れとなり、指揮官層を多数失って再起に十年かかるほどの損害を受けて勝敗は決した。この戦いの中をケーフェンヒラーは辛くも生きのび、以後約半世紀を捕虜として過ごした。 だが同日19時7分、同盟総旗艦「ハードラック」に流れ弾が命中し、艦橋まで被害が広がった。アッシュビーは爆発によって飛来した破片で腹部を切り裂かれ、19時9分に死亡した。 アッシュビーの死後、730年マフィアは解散し、二度と華々しい武勲を挙げることもないまま個人的な交友も途絶えがちとなっていった。一方、アッシュビー戦死を聞いた帝国軍は、戦いそのものの惨敗を忘れるほど狂喜したが、上層部はより冷静に大敗北を受け止め、イゼルローン要塞の建設を決意した(完成は宇宙暦767年/帝国暦458年)。 そして、この敗北による指揮官層の喪失を補充するため、それまでは極めて珍しかった平民の将官登用が大々的に行われるようになった。だが、それはゴールデンバウム王朝の基盤であった貴族による軍事力独占を揺るがす両刃の剣でもあった。また、良き父、良き夫、よき当主でもあった貴族指揮官の大量死は当然貴族階級全体の衰退と劣化を加速させ、約二世代後のラインハルトと同世代の若手貴族たちは、敵として恐れるに足らぬどころか日常レベルでのモラルや軍規すら保てぬほどの醜態をさらすようになった。
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