第2次ディズレーリ内閣植民地大臣
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「ヘンリー・ハーバート (第4代カーナーヴォン伯爵)」の記事における「第2次ディズレーリ内閣植民地大臣」の解説
4年以上の野党生活を送った末、1874年2月の総選挙(英語版)で保守党が大勝し、再びディズレーリ内閣が発足する見通しとなった。相変わらずディズレーリと関係が良くなかったカーナーヴォン卿はこの内閣への入閣にも慎重姿勢だったが、盟友のソールズベリー卿が入閣を決意したため、彼も植民地大臣としての入閣を承諾した。ただし入閣中も首相ディズレーリとは距離を置いていた。
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