第2次デンマーク戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/13 04:43 UTC 版)
「カール・グスタフ戦争」の記事における「第2次デンマーク戦争」の解説
カール10世はスウェーデンに帰国したものの、デンマークから不穏な情報がもたらされた。フレデリク3世がオランダと密議を交わし、スウェーデンと対決すると言う。デンマークの動きを不快視したカール10世は、この期に乗じてデンマーク征服を決意する。1658年暮れ、カール10世はロスキレ条約を一方的に破棄し、デンマークへと侵攻した。デンマーク側はこのことを全く予期しておらず、戦闘準備も為されていないまま翌1659年にコペンハーゲンを包囲された。しかしデンマークは徹底抗戦を厳命、フレデリク3世の元、全コペンハーゲン市民がスウェーデンに対し猛烈な抵抗を試みた。 ここでカール10世は1つの作戦ミスを犯した。戦闘準備が整っていないコペンハーゲンへの強襲作戦を退け、包囲戦を仕掛けたのである。これは結果的に失敗に終わり、デンマーク側の戦闘態勢を整えさせてしまう。スウェーデン軍は長期に渡る包囲網戦に疲弊して行った。しかもスウェーデン、デンマークとも著しい死者を出し、コペンハーゲンは陰惨な地獄と化した。この間にデンマークはオランダ、ハプスブルク家、ブランデンブルク選帝侯フリードリヒ・ヴィルヘルムとの同盟を締結させていた。 デンマークはひたすら同盟国の援軍を待ちわびた。そしてオランダは海軍をバルト海へ派遣し、神聖ローマ帝国軍、ブランデンブルク軍はユトランド半島へ進駐した。1658年にスウェーデン領となったスコーネでも大反乱が勃発した。予期せぬ戦況にカール10世は驚愕し、スウェーデン軍の撤退を決意した。ポンメルン、ポーランドに進駐するスウェーデン軍も引き上げさせた。戦争はカール10世に思わぬ展開を招来し、戦況は暗転した。 カール10世はスコーネに撤退し、そこで戦陣を張った。戦争の継続を掲げたカール10世は、劣勢の打開を試み作戦を再考するためにであった。しかしカール10世は戦陣で熱病に冒されて急死した。戦争の中心人物が突如消えたことで和平の機運は高まった。こうしてカール10世の開始した北方戦争は、自身の死により完結した。それはスウェーデンの軍事国家の終焉でもあった。
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