第18回大会〜第24回大会
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「竹田敏浩」の記事における「第18回大会〜第24回大会」の解説
第17回の長野誠の完全制覇により、竹田は自身初の引退を示唆する発言をする。胸中は複雑なものであったが、その旨を家族に伝えた際、子供から「やめないで」という声があったという。肩の荷が下りた竹田は、再び挑戦をする決意をした。 全面リニューアルが施された第18回は1stを難なく突破し、2nd進出者6人のうちの1人となる。2ndに新設されたサーモンラダーで2人連続リタイアという状況での挑戦となるが、竹田も同エリアで最後の段差を前にして落下(ゼッケンなし)。初出場の第5回以来となる7年振りの2ndリタイアとなり、3rd連続進出の記録は7でストップした。 第19回はゼッケン96番の竹田を前に2人のみが1stを突破している中での挑戦。5m20cmに難しくなったそり立つ壁で失敗が続き、警告音の中で最後に成功させたもののタイムアップ(ゼッケン96)。第10回以来、5年ぶりの1stリタイアとなる。 第20回もゼッケン1995番の竹田を前に2人のみが1stを突破している中での挑戦。難なくフライングシュートまで進出したものの、最終エリア・ロープラダーでタイムアップ。自身初の2大会連続1stリタイアとなる。 第21回は1stを3大会ぶりにクリアし、2ndを25.7秒残しの最速タイムで突破。3rd進出者3人のうちの1人となる。3rdでは第18回のリニューアル後、史上初の新クリフハンガー成功者となる。その後、ハングクライミングで進路を見失い、腕力を使い果たす形で脱落した(ゼッケン98)。 第22回は1stジャンピングスパイダーでトランポリンの踏み切りに失敗し、落下(ゼッケン92)。 第23回は前回リタイアした1stジャンピングスパイダーを突破し、危なげなくクリア。続く2ndではウォールリフティングで最後の壁を第3,4回の山田勝己、第16回の山田康司と同様、最上段まで持ち上げてから片手で支えるパフォーマンスを披露した。前々回脱落した3rdハングクライミングまで到達したものの、進路の選択に手間取り大幅に体力を消耗。直後のスパイダーフリップの対岸へのジャンプで落下した(ゼッケン97)。 第24回では1stステージのスライダージャンプで飛び移るタイミングが合わない場面があったものの、足で対岸の網を掴むリカバリーで突破。そのままSASUKEオールスターズで唯一の1stクリアを果たした。2ndは問題なくクリア。3rdでは5人連続クリアという中での挑戦となり、前回失敗した3rdスパイダーフリップまで到達。ジャンプする足場の前のコーナーで苦戦し、粘ったものの限界に達しての落下(ゼッケン98)。第12回同様、自分では沼地から這い上がることすら出来ない状態だった。挑戦後、1stリタイアだった長野誠が涙を流す場面もあった。竹田はこの回を最後に3rdに進出していない(2020年1月現在)。
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第18回大会〜第24回大会
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「山田勝己」の記事における「第18回大会〜第24回大会」の解説
リニューアルされた第18回大会は、ゼッケン争奪マラソンで73番という早めのゼッケン(過去出場した16大会中で最も早い出場順)を選択した。ジャンピングスパイダーやグレートウォール(そり立つ壁の進化版)も問題なく突破したものの、再びゴール目前でタイムアップ。今大会の1st突破者は6人のみであり、数少ない最終エリア到達者のうちの1人であった。これで3大会連続のタイムアップとなる。 第19回大会は、前回大会は難なく突破していた1stポールメイズでポールの構造が複雑になっていたことがあり、ポール上手く動かすことができず、約60秒近くを費やしてしまい、大幅にタイムロス。ポールメイズこそクリアしたが、既に残り10秒の警告音の中、ジャンピングスパイダーで落下した(ゼッケン91)。 第20回大会前の2月に、自宅の練習セットで顔面を負傷するアクシデントに見舞われた。同大会はゼッケン1999番で出場し、ジャンピングスパイダーで一度張り付いたものの、その直後に右足を滑らせ転落。腰を強打した。 第21回大会は身体の調子が万全ではなく、スタート前から肩や足にテーピングを巻いての挑戦となった。ジャンピングスパイダーをクリアするが、着地の際に足をさらに負傷。負傷した足でハーフパイプアタックをクリアするも、そり立つ壁でタイムアップとなる。後のインタビューでは「もう一回ベストの状態でSASUKEに挑んでみたいですね」と語っている(ゼッケン96)。 また、今大会は弟子の宮城拓也(当時22歳)を「SASUKEトライアル2008夏」に推薦。出場者80名中第1位で通過し、大会にもゼッケン48番での出場。大会前には山田の自宅のセットで練習を重ねたものの、1stジャンピングスパイダーでの脱落となった。 第22回大会は、大会前に白血病を患った子供から「僕は山田さんの戦う姿を見て手術をすることを決めて頑張りました。なので山田さんも頑張って今年は1stステージをクリアしてほしい」という手紙が届き、番組内でも取り上げられた。同大会は、1stジャンピングスパイダーでリタイアとなる(ゼッケン81)。 また、今大会は弟子入りしてきた俳優の中尾明慶がゼッケン88番で出場。大会前には山田の自宅のセットで練習を重ねたものの、前述の宮城同様1stジャンピングスパイダーでの脱落となり、追放された。 第23回大会は、そり立つ壁を4度目の挑戦でクリアするも、残り10秒の警告音の中、スライダージャンプの綱を掴み損ねて頭から転落した。後のインタビューでは「もう一度半年頑張って、次が最後のつもりでやりたいです」と語った(ゼッケン71)。 第24回大会は、「1stをクリアできなければ最後のつもりで」という決意で臨むも、そり立つ壁にてタイムアップ(ゼッケン80)。山田は引退こそ明言していなかったものの、番組中のテロップには「山田勝己 引退」と表記された。 第25回大会は欠場となる。
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