第13号線と建設工事の遅れとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 第13号線と建設工事の遅れの意味・解説 

第13号線と建設工事の遅れ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 03:56 UTC 版)

東京メトロ有楽町線」の記事における「第13号線と建設工事の遅れ」の解説

一方上記答申第15号新たに東京13号線は「志木 - 和光市 - 成増 - 向原 - 池袋 - 東池袋 - 目白東 - 諏訪町 - 西大久保 - 新宿に至る路線」として答申され、「なお、新宿より渋谷品川経て羽田方面への延伸検討する」とされた。同答申では志木 - 和光市間は東武東上線複々線化することが示された。 既に第8号線(有楽町線)として建設していた成増 - 小竹向原間は第13号線の一部編入され小竹向原 - 池袋間は第8号線と第13号線が並行することとされたが、営団地下鉄はこの区間建設着工時期迫っていた。このため運輸省当時)と協議行い小竹向原 - 池袋間は工事方法変更扱いとした複々線区間とし、和光市 - 成増間は第15号答申基づいて路線免許申請することとした。建設予算1975年度より第8号線・第13号線の区別なく、有楽町線和光市 - 明石町(後に新木場)間に含まれることになった第13号線の制定に伴い営団地下鉄西武鉄道ならびに東武鉄道協議行い1975年昭和50年8月第8号線と第13号線との相互直通運転に関する以下に示す覚書取り交わした第13号和光市 - 池袋(→新線池袋副都心線池袋)間と第8号線(有楽町線小竹向原 - 池袋間、西武有楽町線練馬 - 小竹向原間は同時開業前提とする。 小竹向原駅第8号線と第13号線の列車相互に乗り入れることが可能な配線とする。 運行形態は、都市交通審議会第15号答申基本とする。第13号線は東武東上線 - 和光市 - 池袋(→新線池袋副都心線池袋)間、第8号線は西武池袋線 - 練馬 - 小竹向原 - 有楽町線新富町方面しながら第13号線から第8号線(有楽町線方面へはラッシュ時において1時間あたり6本程度乗り入れすることを想定する将来的第13号線・第8号線間でダイヤ支障しない範囲交互に直通運転を行う。 これは営団地下鉄成増 - 小竹向原間は第8号線として建設工事着手し周辺住民へ「銀座直通できる」と宣伝して協力得ていたことから、和光市方面から有楽町線方面行ける列車設定する必要があったためである。しかし、用地買収周辺住民への建設同意問題などから建設工事大幅に遅れ、小竹向原 - 池袋間の第13号施設使用当面見送られた。 また、営団地下鉄東武東上線志木 - 和光市間の複々線化計画合わせ和光市駅を介して東武東上線第13号線が相互直通運転を行うことを決定し和光市 - 営団成増間を営業線として建設するため、同区間地方鉄道敷設免許申請することに変更した和光市 - 営団成増間は1978年昭和53年9月着工し、この時点和光市 - 池袋間は1981年昭和56年9月開業予定したが、和光市駅付近用地買収遅れたことから1987年昭和62年)秋まで開業遅れた都市交通審議会答申第15号からすれば和光市 - 池袋間は第8号線(有楽町線)とは別路線の「第13号線」(現在の副都心線)であるが、この区間有楽町線池袋 - 新富町間と一体で運行されることや乗客混乱起こさないためにも、和光市 - 池袋間も「有楽町線」と呼称することとなったこのうち和光市駅 - 小竹向原駅間が有楽町線として、志木駅 - 和光市駅間が東武東上線複々線としてそれぞれ開業した。なお、第13号線の小竹向原駅 - 池袋駅(→新線池袋駅)間は有楽町線新線(現・副都心線)として1994年12月開業している。 小竹向原駅西武有楽町線との分岐点となることから2面4線構造として、池袋方に和光市方面からの第13号列車と、練馬方面からの第8号列車双方乗り入れができるよう、10両編成長さを持つ6線区間を設置した小竹向原 - 池袋間は、第8号線と第13号線のトンネル上下重ねた体構造となっている。これは第8号開業後に改め第13号トンネル構築することは困難であり、上下構造トンネル構築することは経済的であること、また第8号線と第13号線のトンネル並行させることは地上道路幅制約から困難であり、用地節約できる上下トンネル構造採用した千川駅要町駅では、地下2階第8号線(有楽町線)のホーム地下3階第13号線(副都心線)のホームとなっており、1983年昭和58年)の有楽町線開業時点では地下2階部のみ使用開始した第8号成増 - 池袋間のうち、川越街道国道254号)の地下を通る区間地下鉄成増 - 地下鉄赤塚付近)を除いた区間は、東京都放射35号道路放射36号道路および補助線街路第78号線(補助第78号線)の計画道路競合しており、特に放射36号道路周辺住民から大きな反対運動があり、当初から用地交渉の難航予想されていた。川越街道国道254号線)の地下を通る区間1972年昭和47年2月建設工事着手され1975年昭和50年3月完成していたが、前後区間開業大幅に遅れたため、施設8年間にわたって共用の状態となっていた。ただし、オイルショックによるインフレ発生前に完成したため、結果的に建設費用抑えることができた。 平和台 - 池袋間では東京都街路事業都市計画道路)と地下鉄の建設同時に施工する予定であった。しかし、現道がなく新たに道路整備する氷川台 - 千川間では、周辺住民から排気ガス騒音懸念して計画道路への反対根強く道路計画地下鉄建設巻き込まれ用地交渉難航した。ただし、地下鉄建設には賛成住民多かった最終的にオイルショック影響によって東京都財政急激に悪化し道路整備は困難となったことから、営団地下鉄1975年昭和50年9月地下鉄先行して建設し東京都計画道路地下鉄建設後改め整備することに変更した

※この「第13号線と建設工事の遅れ」の解説は、「東京メトロ有楽町線」の解説の一部です。
「第13号線と建設工事の遅れ」を含む「東京メトロ有楽町線」の記事については、「東京メトロ有楽町線」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「第13号線と建設工事の遅れ」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「第13号線と建設工事の遅れ」の関連用語

第13号線と建設工事の遅れのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



第13号線と建設工事の遅れのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの東京メトロ有楽町線 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS