西大久保
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 04:24 UTC 版)
現在の歌舞伎町二丁目と大久保一 - 二丁目の全域・大久保三丁目のほぼ全域(JR線・西武線の敷設部分を除き、この鉄道沿線部分のうち海城学園敷地の一号館より西にあるすべても除く)・新宿七丁目の一部(おおむね、新宿第一保育園より西側の明治通り沿線エリア)・新宿六丁目のごく一部(明治通りの沿線一帯)・戸山三丁目のごく一部(明治通りの沿線一帯)がかつての西大久保の町域である。このエリアのうちおおむね、歌舞伎町二丁目と新宿六丁目が西大久保一丁目、大久保一丁目と新宿七丁目が西大久保二丁目、大久保二丁目が西大久保三丁目、大久保三丁目と戸山三丁目が西大久保四丁目だった。当時、諏訪町(北)・戸塚町一 - 四丁目(西)・角筈一丁目(南・のち一部が歌舞伎町)・東大久保一 - 二丁目(東)・戸山町(東)に隣接。1978年(昭和53年)7月1日、住居表示実施に伴う町名変更により、西大久保一 - 三丁目が消滅。明治通り沿線に一部残った西大久保四丁目も1981年(昭和56年)6月1日に戸山三丁目となり、西大久保は消滅した。今日、新宿区立西大久保公園などにその名を留めている。また、2000年(平成12年)12月に開業した大江戸線東新宿駅の建設当時の仮称駅名は、大久保駅の東側にあるにもかかわらず「西大久保駅」であった。
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