第二次世界大戦後の極東情勢とは? わかりやすく解説

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第二次世界大戦後の極東情勢

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 00:53 UTC 版)

ダグラス・マッカーサー」の記事における「第二次世界大戦後の極東情勢」の解説

日本での権威揺るぎないものとしたマッカーサーであったが、アメリカ対極戦略については蚊帳の外であったマッカーサー蔣介石多大な援助与え中国共産党との国共内戦勝利させ、中国大陸親米的政権確保するという構想抱いていたが、蔣介石日中戦争時から、アメリカから多大な援助現在の金額で約2兆円)を受けていたにも関わらず日本軍との全面的な戦争避け続けて数千ドルにも及ぶ援助金横領したり、受領した武器を敵に流すなど腐敗しきっており、中国民衆の支持失いつつあった。民衆の支持受けた中国共産党がたちまち支配圏を拡大していくのを見て1948年にはトルーマン政権蔣介石見限っており、中国国民党を救う努力放棄しようとしていた。マッカーサーはこのトルーマン政権対中政策反対唱えたが、アメリカ方針が変わることはなく、1949年北京失った国民党軍は、1949年年末までには台湾撤退することとなり、中国本土中国共産党毛沢東掌握することとなった共産主義陣営との対立は、日本から解放されたのちに38度線境界線としてアメリカソ連統治していた朝鮮半島でも顕在化することとなり、1948年8月15日アメリカ後ろ盾李承晩大韓民国成立宣言。それに対しソ連から多大な援助受けていた金日成9月9日朝鮮民主主義人民共和国成立させた。マッカーサー日本統治期間中にほとんど東京を出ることがなかったにかかわらず大韓民国成立式典にわざわざ列席し李承晩との親密さアピールしたが、トルーマン政権の対朝鮮政策は対国民党政策同様に消極的なものであった朝鮮半島アメリカ防衛線を構成する一部分とは見なされておらず、アメリカ軍統合参謀本部は「朝鮮占領軍基地とを維持するうえで、戦略上の関心少ない」と国務省通告するほどであった成立式典列席して韓国との関係アピールしたマッカーサーであったが、朝鮮情勢についてはトルーマン同様にあまり関心はなかった。在朝アメリカ軍司令官ジョン・リード・ホッジは度々マッカーサー韓国肩入れしてほしいと懇願していたが、マッカーサー返事は「本職マッカーサー)は貴職ホッジ)に聡明な助言をおこなえるほどには現地情勢通じていない」という素っ気ないものであった業を煮やしたホッジ東京マッカーサー面会しに来たことがあったが、マッカーサーホッジ何時間も待たせた挙句「私は韓国足跡残さない、それは国務省管轄だ」と韓国の面倒は自分見よ命じている。マッカーサー李承晩らに、大韓民国成立式典で「貴国とは1882年以来友人である」、「アメリカ韓国攻撃された際には、カリフォルニア同様に防衛するであろう」とホワイトハウス相談するともなくリップサービスをおこなっていたが、マッカーサー約束とは裏腹に朝鮮半島からは順次アメリカ軍部隊の撤収進められ1949年には480名の軍事顧問団のみとなっていた。そして、マッカーサー自身も、韓国成立式典韓国防衛約束したわずか半年後の1949年3月1日記者会見で、共産主義対す防衛線を、アラスカから日本経てフィリピンに至る線という見解示し朝鮮半島防衛については言及しなかった。 アメリカ軍軍事顧問団指導され韓国軍兵士は、街頭農村からかき集められ若者たちで、未熟文字読めない者も多くアメリカ軍第二次世界大戦当時旧式兵器あてがわれて満足に訓練受けていなかった。アメリカ軍軍事顧問団将校らは、そんな惨状アメリカ本国マッカーサー報告する昇進に響くことを恐れて韓国軍アジア高であるとか、韓国軍面目一新し兵士装備人民軍より優れている虚偽報告行ったその頃1950年1月12日ディーン・アチソン国務長官が、「アメリカ責任を持つ防衛ラインは、フィリピン - 沖縄 - 日本 - アリューシャン列島までである。それ以外の地域責任持たない」と発言している(「アチソンライン」)。これはマッカーサー1949年3月1日記者会見での言及とほぼ同じ見解であったが、トルーマン政権中枢の見解でもあり、北朝鮮による韓国侵攻きっかけ与えることとなったアメリカ軍顧問団虚偽報告信じていたアメリカ本国マッカーサーであったが、北朝鮮軍侵攻10日前の1950年6月15日になってようやく、ペンタゴン内部韓国軍辛うじて存在できる水準しかないとする報告が表となっている。しかし、すでに遅きに失していた。

※この「第二次世界大戦後の極東情勢」の解説は、「ダグラス・マッカーサー」の解説の一部です。
「第二次世界大戦後の極東情勢」を含む「ダグラス・マッカーサー」の記事については、「ダグラス・マッカーサー」の概要を参照ください。

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