第二帝政後期とは? わかりやすく解説

第二帝政後期(1860年代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 07:55 UTC 版)

ジャン=フランソワ・ミレー」の記事における「第二帝政後期(1860年代)」の解説

1860年代前半には、ベルギー人画商のアルチュール・ステヴァンスおよびそのビジネス・パートナーであるエヌモン・ブランと長期契約を結び、経済的に安定するようになってきた。1862年には、グーピル商会との取引始まった1861年サロンでは、『羊の毛を刈る女性』、『ミルク粥』、『待つ人』の3作品入選した。『羊の毛を刈る女性』は、サロン賞賛された。この年、第8子(三男ジョルジュ生まれた1863年サロンに、代表作一つとなる『鍬に寄りかかる男』を出品したが、重労働にあえぐ農民の姿は、サロンでは酷評された。「脱走した殺人者モデルではないか」との評もあった。他に『羊毛梳く女』と『夕暮れに羊を連れ帰る羊飼い』を出品している。 1864年サロンで、『羊飼い少女』と『仔牛誕生』を出品した。『羊飼い少女』は、好評博して1等賞を与えられた。批評家ジュール=アントワーヌ・カスタニャリは、「大地と空、情景人物呼応し結び付いている。技巧ではなく精神が、表面的な魅力陰に存在している。まさに最高峰芸術」と絶賛した文科省美術局から1500フラン政府買上げ申出がされたが、もともと個人からの注文品であったことから、断った。この作品成功機にミレー評価一気高まった他方、『仔牛誕生』は、ゴーティエから「未来聖牛アピス運んでいるエジプト司祭たちのような農民たちの馬鹿げた厳粛さと言われるなど、酷評浴びたこの年1月ミレーは、友人建築家アルフレッド・フェイドーから、フェイドーが設計した銀行家トマ邸宅の4装飾パネル依頼された。ミレーは、これに応じ、『春(ダフニスとクロエ)』、『夏(豊穣の女神)』ほか2点(秋は現存せず)の「四季連作制作した。これは、1852年同じくフェイドーから注文受けて制作した四季連作から数えて2回目である。 1865年9月パリ実業家エミール・ガヴェが、テオドール・ルソー紹介ミレー会いパステル画大量に注文したい申し出たパステル画は、完成早いことから、短期間にミレー・コレクションを作りたいという計画であった3年集中して制作してくれれば月給として1000フラン支払うという条件示された。結局ミレーは、1870年までに95パステル画納品したその頃ボストン出身大富豪クィンシー・アダムズ・ショー(英語版)もミレー油絵パステル画多数収集するようになり、後にボストン美術館コレクション引き継がれることになる。また、1866年2月に妹が亡くなり、グリュシーに帰省したこと、6月から7月にかけて、妻の湯治のため、オーヴェルニュ地方温泉地ヴィシー滞在したことを機にパステル画多く風景画制作するようになった。グリュシーに帰省した際には、初めての大型風景画『グリュシーの村はずれ』を制作しサロン出品したが、余り注目集めなかった。パステル画では絵具のように混色できないこともあって、油絵でも、それまで褐色基調としていた絵は、明る色彩増えてきた。ガヴェとの契約収入安定し1866年から1868年にかけて、毎年ヴィシー訪れ余裕ができたのもそのためである。 1867年には、パリ万国博覧会美術展覧会開催された。ミレー一室与えられ、『馬鈴薯収穫』、『死と木こり』、『落穂拾い』、『夕暮れに羊を連れ帰る羊飼い』、『羊の毛を刈る女』、『羊飼い少女』、『馬鈴薯植え』、『晩鐘』、『羊の牧舎月光』という9点代表作出展した。これによってミレー巨匠としての名声確立した同年サロンでも、『烏のいる冬景色』と『鵞鳥番の少女』を出品して1等賞を与えられた。 『子どもに食べさせる母(ついばみ)』1860年頃。油彩キャンバス74 × 60 cmリール宮殿美術館。 『ミルク粥』1861年油彩キャンバス114 × 99 cmマルセイユ美術館1861年サロン入選。 『鍬に寄りかかる男』1860-62年。油彩キャンバス、81.9 × 100.3 cmゲティ・センター英語版)。1863年サロン入選。 『烏のいる冬景色1862年油彩キャンバス、60.3 × 73.6 cmオーストリア・ギャラリー1867年サロン入選。 『水浴する鵞鳥番の少女1863年頃。油彩キャンバス、38.5 × 46.5 cmウォルターズ美術館。 『羊飼い少女1863年頃。油彩キャンバス81 × 101 cmオルセー美術館1864年サロン入選。 『仔牛誕生1864年油彩キャンバス、81.1 × 100 cmシカゴ美術館1864年サロン入選。 『春(ダフニスとクロエ)』1865年油彩キャンバス、235.5 × 134.5 cm国立西洋美術館東京)。 『夏(豊穣の女神)』1864-65年。油彩キャンバス266 × 135 cmボルドー美術館。 『星の夜』1850-65年。油彩キャンバス、65.4 × 81.3 cmイェール大学美術館英語版)。 『グリュシーの村はずれ1866年油彩キャンバス、81.6 × 100.6 cmボストン美術館1866年サロン入選。 『鵞鳥番の少女』1866-67年。油彩キャンバス、45.7 × 55.9 cm東京富士美術館1867年サロン出品は異作品

※この「第二帝政後期(1860年代)」の解説は、「ジャン=フランソワ・ミレー」の解説の一部です。
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