第二帝政とパリ労働者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 15:10 UTC 版)
「パリ・コミューン」の記事における「第二帝政とパリ労働者」の解説
1860年代のパリ労働者の特徴としては、工場労働者というよりも、前近代的な性格が残されていた。工芸品の製造をはじめとする伝統的な手工業生産に従事する者が多く、労働者というよりも職人というべきタイプの人々であった。こうした職人的熟練労働者は自分の職と技術に自負心を持つ職人気質が高く、彼らの政治的志向はフランス革命期のサン・キュロット運動の歴史的経験を背景とした人民主権思想とその延長に形成されたプルードン的な職人社会主義思想に支えられていた。フランス革命以来、パリ民衆はお上への直訴や談判などの直接行動を重視しており、ジャコバン的直接民主主義の伝統が残っていた。かれら民衆は酒場などでの労働者同士の交流を契機に、強い連帯感と独立した階級意識を形成し、現実世界に対する批判的な精神を育んでいた。産業化・近代化の進むパリではより一層、格差と階級分離が深まっており、単なる強権政治でしかない第二帝政への不満もこうした生活世界の中で形成されていた。こうした環境の中で「人民の声」を高等政治の世界へと反映させたいとするポピュラー・ポリティクスの文化が形成されていたのである。 「フランス革命」、「ジャコバン」、および「サン・キュロット」も参照 こうした中、時代が下るにつれて第二帝政への逆風が吹き始める。周期的に繰り返される恐慌はやがてナポレオン3世の帝政に対する人々の不満を強めていく。ナポレオン3世は事態打開のために対外政策を積極化させるものの、メキシコ出兵の失敗によって皇帝としての権威を失う。これを背景に強権政治の綻びが見え始め、「権威帝政」から帝政は次なる段階として過渡的な「自由帝政」へ、そして帝権失墜の最終段階「議会帝政」へと移行していく。
※この「第二帝政とパリ労働者」の解説は、「パリ・コミューン」の解説の一部です。
「第二帝政とパリ労働者」を含む「パリ・コミューン」の記事については、「パリ・コミューン」の概要を参照ください。
- 第二帝政とパリ労働者のページへのリンク