第二の九州特急「さちかぜ」→「平和」の登場
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1958年4月頃の編成図 表・編・話・歴・PJR・PJRN・C 寝台特急「さちかぜ」 ← 長崎 東京 → 号車 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 座席種類Ca II(A/B) II(C) II D IIIs IIIs III IIIs III IIIs III 形式マニ32 マロネ40 マロネフ29 スロ54 オシ17 ナハネ11 ナハネ11 ナハフ11 ナハネ11 ナハフ11 ナハネ11 ナハフ11 連結区間東京駅 - 長崎駅間 東京駅 - 博多駅間 東京駅 - 広島駅間 号車番号は下り東京駅出発時のもの。上り長崎駅発は東京駅方向から1号車、2号車となる。 なお、1957年の運転当初は7、9号車は欠車(つまり不連結)で運行された。 + 凡例 II(A/B)=二等寝台車(A・B) II(C)=二等寝台車(C) II=二等座席車 IIIs=三等寝台車 III=三等座席車 Ca=荷物車 D=食堂車 なお、座席車は特別急行列車であったため全車座席指定席であった。 等級の表現と各車種の座席種類についても参照されたい。 1957年(昭和32年)7月20日:東京駅 - 博多駅間を運行する寝台特急列車として「さちかぜ」運転開始。「さちかぜ」の設定当初は、毎日運行の臨時列車扱いとした。また、「あさかぜ」についで2本目の寝台特急列車となり、「あさかぜ」と続行する形で運転された。 10月1日:ダイヤ改正により以下のように変更。「西海」の扱いを通常の定期急行列車に変更する。 「さちかぜ」運転区間を長崎駅まで延長し定期列車化。「さちかぜ」の編成図を右に示すが、当初は「あさかぜ」からと続行する形で運行され、付属編成も広島駅発着の車両も連結していた。 1958年(昭和33年)10月:「あさかぜ」と続行する形で運転され、その上名前が似ていたことから誤乗が続出したため、対策として「さちかぜ」の名称を「平和」(へいわ)に改称。この「平和」の名称は「こだま」の公募に際し、「将来の特急列車愛称に用いる」とされた「佳作」で選されたものである。 また、この改正より、「平和」は「あさかぜ」より東京駅を2時間近く早く出発する事となり、下り列車は翌11月に登場した151系電車使用の特急「第二こだま」と続行運転する形となった。その事で京阪神方面からの利用が辛うじて可能となった。 この改正から食堂車営業担当が日本食堂長崎営業所が担当。以後「さくら」時代でも1987年(昭和62年)5月まで続けられた。 なお、この時「はやぶさ」も運行を開始し、「平和」と共通運用を組んだ。 1958年10月 - 1960年7月の「平和」・「はやぶさ」編成図 表・編・話・歴・PJR・PJRN・C 寝台特急「平和」「はやぶさ」 ← 長崎・鹿児島 東京 → 号車1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 座席種類Ca/III II(A/B) II(A/B) II D IIIs IIIs III IIIs IIIs IIIs IIIs III 形式オハニ36 マロネ40 マロネ40 スロ54 オシ17 ナハネ11 ナハネ11 ナハフ11 ナハネ11 ナハネ11 ナハネ11 ナハネ11 ナハフ11 連結区間A H A H 凡例 II=二等座席車 II(A/B)=二等寝台車(A・B) IIIs = 三等寝台車 III=三等座席車 Ca/III=三等座席・荷物合造車 D=食堂車等級の表現と各車種の座席種類についても参照。なお、1960年7月以降二等車は一等車、三等車は二等車に等級を変更。 連結区間 A=全区間連結 H=東京駅 - 博多駅間連結 「平和」:1958年改称時より、1959年20系客車置き換え(同時に「さくら」へ名称変更)までの編成。運行区間:東京駅 - 長崎駅間 「はやぶさ」:1958年登場時より1960年20系客車置き換えまでの編成。運行区間:東京駅 - 鹿児島駅間(鹿児島本線経由)
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