第二のムラ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 06:19 UTC 版)
『近代日本の精神構造』は、丸山の天皇制ファシズム批判と柳田の民俗学の成果を生かし、近代日本全体を貫いた思想・行動の原理を明らかにしようとした労作。この中では「第二のムラ」の概念を提唱しているが、これは村落共同体(本来のムラ=第一のムラ)の原理にならった擬似的な共同体であり、具体的には藩閥(例:長州閥)、学閥(例:東大閥)などを指す。第一のムラは農業生産を基盤とし、祭りを中心にした秩序があるが、第二のムラに生産的な基盤はなく、同郷・同窓などのノスタルジーを基にした結合である。近代日本では社会の指導者層は藩閥や学閥などの「第二のムラ」を秩序原理としており、健全な市民社会が育たなかった。一方、「出世民主主義」が社会を覆い、有為な人材の多くが都会へ出てしまうと、実質的に日本を支えていた村落共同体は崩壊していった。こうした状況で、恐慌や国際情勢の悪化に対応することが要請されると、もはや秩序を支えるものは天皇制以外にはなかった、としてファシズムから敗戦に至る日本の悲劇を語っている。家永三郎は書評の中で、「本文より注が多い」「造語が多すぎる」と感想を述べるが、内容は全く理解できなかったと告白している(『思想』1961年8月)。
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