第三共和国憲法の成立と三帝同盟の切り崩しとは? わかりやすく解説

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第三共和国憲法の成立と三帝同盟の切り崩し

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 00:29 UTC 版)

フランス第三共和政」の記事における「第三共和国憲法の成立と三帝同盟の切り崩し」の解説

1875年2月憲法制定され上院元老院)と下院代議院普通選挙による)による二院制がとられた。また、任期7年共和国大統領名目的元首となり両院による多数決選出されることが定められた。内閣が行政権握り普通選挙制下院の力が強かったドイツ帝国ビスマルク宰相ドイツの安全の為にフランス国際的孤立図ったクリミア戦争以前列強体制再構築為に1873年ドイツはオーストリア・ロシアと三帝同盟結んでいた。1875年4月8日に『ポスト』紙事件ドイツ語版フランス語版)が持ち上がりドイツ国内世論押されビスマルクは、予防戦争ドイツ語版フランス語版)を行なおうとして黙認していた。しかしフランス外相ルイ・ドゥカズ巧み外交によって、イギリスディズレーリ首相ロシアゴルチャコフ外相味方につけてフランス支持してもらい、ドイツの対仏強硬姿勢取り下げさせることに成功したロシア皇帝アレクサンドル2世ゴルチャコフは自らベルリン訪問して独仏関係調停乗り出している。こうしてビスマルク野望は、三帝同盟切り崩し遭い潰えた1876年2月20日3月5日第三共和国憲法に従い議会選挙フランス語版英語版が行われると、上院では王党派下院では共和派優勢になった。こうした中、王党派立場をとる大統領マクマオンは、穏健共和派フランス語版英語版)のジュール・シモン(フランス語版英語版)を首相に選ばざるをえなかった。その後大統領下院対立深まり根っから王党派であったマクマオンは、翌1877年5月16日危機フランス語版英語版)(フランス語: Crise du 16 mai 1877)で5月17日シモン首相解任した。10月議会解散させて再び議会選挙フランス語版英語版)を実施したが、共和派勢力衰えことはなく、外交切り札だったルイ・ドゥカズ外相をも失った1876年7月にはロシアゴルチャコフ外相オーストリア・ハンガリーアンドラーシ首相とは、秘密協定のライヒシュタット協定英語版)を締結してロシアベッサラビアコーカサスオーストリア・ハンガリーボスニア・ヘルツェゴビナを、それぞれ獲得することをバルカン半島めぐって対立するロシアとの中立協定条件にしていた。露土戦争オーストリア・ハンガリー中立守り1878年3月3日ロシアオスマン帝国サン・ステファノ条約締結していた。 1878年ベルリン会議で、ドイツビスマルク中立宣言していたが、『ポスト』紙事件以来ゴルチャコフ外相とは敵対関係になっていた。オーストリア・ハンガリーアンドラーシ首相は、アンドラーシ外交呼ばれるうになる外交方針転換行いロシア南下政策反対するイギリスディズレーリ首相とともにロシアへ宣戦布告チラつかせてサン・ステファノ条約破棄迫りビスマルクもこれに肩入れした。アンドラーシ首相は、ボスニア=ヘルツェゴヴィナ獲得国内批判高まったことから、1879年10月2日辞任余儀なくされた。ロシア三帝同盟から離脱し1879年10月7日独墺同盟)、フランス外交的孤立から脱することになったゴルチャコフ外相は、反独外交志向するようになり、このあと締結される露仏同盟基礎築いていくことになる。

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