第三六一海軍航空隊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/02/10 13:15 UTC 版)
「第三四一海軍航空隊」の記事における「第三六一海軍航空隊」の解説
紫電の制式採用を想定して編成した3個目の局地戦闘機隊。しかし紫電の量産は一向に進捗せず、零戦隊に変更のうえ編成された。通称「晃部隊」。 昭和19年3月15日、鹿児島飛行場で開隊し、第一航空艦隊第六十二航空戦隊に編入された。紫電48機を定数としたが、遂に1機も調達できず、5月15日をもって零戦隊に転換された。その零戦も最新の52型を調達できず、旧式化した21型をかき集めたもので、稼働率は低かった。作戦行動は東号作戦で8機を関東地区に派遣したのみで、あ号作戦失敗後の再編により昭和19年7月10日解散した。 全期間にわたって榊原喜与二司令(少佐)が統率。
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