第三共和制期と世界大戦期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 04:14 UTC 版)
「ルーヴル美術館」の記事における「第三共和制期と世界大戦期」の解説
フランス第三共和政の時代にルーヴル美術館に新たに収蔵された美術品は、遺贈、寄贈によるものが多かった。アンゲラン・カルトン (en:Enguerrand Quarton) 作といわれる、15世紀の油彩画『ヴィルヌーヴ=レザヴィニョンのピエタ』は「ルーヴル友の会 (Société des Amis du Louvre)」が寄贈したもので、1863年に発掘された古代ギリシア彫刻『サモトラケのニケ』は、同年にルーヴル美術館へと収められたものである。『サモトラケのニケ』は、頭部、左腕が存在しないなどのひどい損傷があるが、1884年の展示以来、ルーヴル美術館が誇る主要な古代彫刻となっている。1869年に美術品収集家の医者ルイ・ラ・カズ (en:Louis La Caze) が遺贈した583点の美術品からなる「ラ・カズ・コレクション (Collection La Caze)」には、ロココ期のフランス人画家シャルダン、フラゴナールらの絵画が含まれており、その他ラ・カズ・コレクション由来の著名な作品として、バロック期のオランダ人画家レンブラントの『ダビデ王の手紙を手にしたバテシバの水浴』、ロココ期のフランス人画家ヴァトーの『ピエロ(旧称『ジル』)』などがある。 ルーヴル美術館の拡大は、第一次世界大戦後ゆるやかになっていき、重要な作品の購入はほとんどなされていない。例外といえる作品として、バロック美術期のフランス人ラ・トゥールの『聖トマス』と、遺贈された大規模なコレクションとして、1935年にエドモンド・ベンジャミン・ロスチャイルドが遺贈した、4,000点の版画(エングレービング)、3,000点の絵画、500点の装飾本が挙げられる。 第二次世界大戦時には、多くの美術品がルーヴル美術館から避難した。第二次世界大戦直前にドイツ軍がチェコのズデーテン地方を併合した時には、『モナ・リザ』などの重要な作品が、ロワール=エ=シェールのシャンボール城へと移された。1939年後半に第二次世界大戦が勃発すると、『サモトラケのニケ』や『ミロのヴィーナス』といった重要な彫刻作品がアンドルのヴァランセ城 (en:Château de Valençay) へと移されている。所蔵美術品の梱包に2日かけ、1939年8月27日に一団のトラックがルーヴル美術館を離れた。12月28日までには、あまりに巨大で重量がかさむ作品と「地下室に所蔵されていた重要ではない絵画作品」を除いて、主要な作品はすべてルーヴル美術館から姿を消している。1945年初頭、それまでドイツに占拠されていたフランスが解放されると、各地に分散していた美術品が元通りルーヴル美術館へと戻されていった。
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