立地と地理的・歴史的環境
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「鰍沢河岸」の記事における「立地と地理的・歴史的環境」の解説
鰍沢は甲府盆地の南西端、国中地方と河内地方の境に位置する。東西を巨摩山地と御坂山地に挟まれ、盆地を南流する釜無川と笛吹川の2大河川やその支流が合流し富士川となる地点で、鰍沢以南は川幅が狭くなり富士川谷を形成している。 周辺は山間部で縄文時代からの小規模集落が点在し、隣接する増穂町との境界付近には後期古墳も見られる。近世には鰍沢河岸や鰍沢宿が成立したため商業的拠点としてにぎわう。
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立地と地理的・歴史的環境
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「大師東丹保遺跡」の記事における「立地と地理的・歴史的環境」の解説
所在する南アルプス市大師は甲府盆地の南西部、釜無川右岸に位置する。甲府盆地西部の西郡一帯は盆地を南流する釜無川の沖積平野で、大師東丹保遺跡は滝沢川と坪川で画された複合扇状地上に立地する。標高は245メートル付近。 近在の南アルプス市江原には向河原遺跡が所在し、弥生時代中期後半の水田跡と集落跡が検出されている。また、南アルプス市田島の油田遺跡から出土した弥生中期中葉の土器の圧痕からはイネが検出されており、油田遺跡の昆虫化石からも水田指標昆虫が多数報告されている。このため弥生中期には当地における稲作の展開が想定されている。大師東丹保遺跡の環境復元においては、第三面全体に火山灰が検出され、水田など人為的な耕作の行われていない自然状態の湿地であると考えられている。一方で大師東丹保遺跡の各区からは、弥生中期のシカ・イノシシなどの動物遺体や種子類・土器片・建築材などが出土している。大師東丹保遺跡の周辺には稲作を生業とする集団が居住しており、この集団は大師東丹保遺跡一帯を行動範囲内としており、水田稲作の一方で、当地において狩猟や堅果の採集などを兼ねていた生業展開が指摘される。 古代には、一帯は『和名類聚抄』に見られる巨摩郡大井郷に比定される。平安時代後期には南アルプス市大井を中心に大井荘が立荘され、南アルプス市南部から富士川町にかけての地域を荘域とした。後に大井荘は南北に分割され、大師地域は北条に含まれる。 平安末期には甲斐源氏一族が進出し、西郡には加賀美遠光の一族が土着する。中でも遠光の子・光朝は南アルプス市秋山を本拠とし、大井荘を本拠としていたと考えられている。鎌倉時代には加賀美・秋山両氏は没落し、代わって大井荘では橘姓大井氏が出現する。 南北朝時代には甲斐国守護・武田信武の子である信明が大井荘に進出し、大井氏(武田大井氏)を称して有力国人となる。大井氏は鮎沢や荊沢を本拠に西郡一帯に勢力を及ぼした。荊沢(ばらさわ)には市も成立する。 戦国時代には大井信達・信業親子が駿河国の今川氏と結び甲斐守護・武田信虎と敵対するが、後に武田氏に臣従して家臣団となる。大師の付近には南アルプス市戸田の富田城や南アルプス市鮎沢の古長禅寺など、大井氏に関係する史跡が多く分布する。 大師東丹保遺跡のうち中世の遺構・遺物は鎌倉時代(13世紀後半から14世紀前半)と推定され、戦国時代に武田大井氏が入部する以前の村落遺跡と位置づけられている。
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立地と地理的・歴史的環境
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「油田遺跡 (南アルプス市)」の記事における「立地と地理的・歴史的環境」の解説
所在する南アルプス市田島は甲府盆地西部、釜無川右岸の西郡地域に位置する。釜無川と巨摩山地から東流する滝沢川・坪川の形成する複合扇状地上の扇端部に立地する。標高は260メートル付近。周辺は釜無川の氾濫原であり、湧水の多い沖積低地である。 釜無右岸地域では東から巨摩山地・市之瀬台地、滝沢・大坪川扇状地、釜無氾濫原の沖積地と特徴の異なる地形が連続し、各時代の考古遺跡が分布している。旧石器・縄文時代の集落遺跡は山地・台地と扇状地との境界傾斜地に分布し、扇状地への進出傾向が見られる。弥生時代には遺跡数が増加し、六科丘遺跡、長田口遺跡など山地・台地に立地する集落遺跡のほか、十五所遺跡、二本柳遺跡など扇状地の扇央部、扇端部へ立地する遺跡も出現する。油田遺跡はさらに低位に進出した集落遺跡で、南西の大師東丹保遺跡など周辺には同時期の遺跡が見られ、稲作の開始と連動した変遷であることが指摘されている。 古墳時代には台地や扇状地に六科丘古墳、物見塚古墳、鋳物師屋古墳など6世紀代の後期古墳が出現し、沖積地でも埋没した円墳が見られる。平安時代には再び集落遺跡が増加し、田島地区では埋没条理も発見されている。
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