神智学協会に引き取られる
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/18 04:33 UTC 版)
「ジッドゥ・クリシュナムルティ」の記事における「神智学協会に引き取られる」の解説
父親は神智学協会で事務職をしており、家は貧しかった。14歳の頃、神智学協会の幹部チャールズ・W・レッドビーターがクリシュナムルティを見出した。レッドビーターが霊視で薄汚れた少年だったクルシュナムルティの神々しいオーラに気づいたとされ、彼の中にはキリストと同じ霊が宿っていると考え、父の同意を得てクリシュナムルティと弟のニトヤナンダを同協会に引き取った。 ヨーロッパの神智学協会に連れて行かれ、クリシュナムルティはロード・マイトレーヤ(弥勒菩薩)と呼ばれる世界教師(救世主)の「乗り物」(器)となるべく、レッドビーターのもとで英才教育を受けた。この訓練と教育は、インド的なものを排しイギリス紳士を目指すというもので、言葉は英語のみで、母語だったテルグ語もヴェーダの言葉も忘れていった。レッドビーターはクリシュナムルティに住み着いていると考えた霊にアリュキュオネと名付け、その人物の以前の人生を霊視したとして、紀元前4万年にはアニー・ベサントとレッドビータは夫婦で、アリュキュオネは彼らの子どもだった、ロード・マイトレーヤに仕える「奉仕者集団」という不滅の霊の集団がいるといった話を会報で連載し、協会内で広く読まれた。レッドビーターがクリシュナムルティに夢中になるほどアリュキュオネの過去生の話は昔にさかのぼっていったが、彼の弟子がこれが霊視ではなく創作である証拠を見つけ、神智学出版社を説得して本の出版を中止させた。クリシュナムルティは霊能力で神智学の霊的指導者マハトマ・マスターのクートフーミと交信できたと言われ、クルシュナムルティのアストラル体は体を離れ、毎晩レッドビーターとヒマラヤ山中のクートフーミから指導を受けたという。この交信はレッドビーターの指導の下、1910年に『大師のみ足のもとに』としてまとめられ、多くの言語に翻訳されクリシュナムルティへの関心を高めた。 1909年にクリシュナムルティは神智学協会の会長であったアニー・ベサントと会い、彼女はクリシュナムルティとニトヤナンダの後見人になった。ベサントが長く自分の子どもと離れていたこと、クリシュナムルティが母を亡くしていたこともあり、クリシュナムルティとベサントはこの時代には母子のような親しい関係を築き、のちに教義上・政治に関して意見が分かれても、ベサントが死ぬまで二人の愛情に変わりはなかった。レッドビータ―に発見されて5か月後の1910年に神智学協会の心霊的な体験である「第一秘伝」を受けたとされる。 レッドビータ―はインド人の少年を見出して教育を与えていたが、判断を間違えないためと称して観察している少年と肛門性交をすること好んでおり、なにかと悪評が絶えなかったため、クリシュナムルティの父ナラニアは、息子たちが彼のそばにいることを不安に思ってベサントに扶養権を渡したことを後悔した。ナラニアはベサントに訴えたが彼女は無視し、兄弟を少数の選ばれた少年たちとだけ過ごすようにし、レッドビーターやジョージ・アルンデール(英語版)らに教育させた。生活のあらゆる面を細かく管理し、栄養価の高いイギリス料理をすばらしいと信じて兄弟に食べさせたが、くどい料理を食べなれていない兄弟に合わず消化不良を起こし、長年二人を苦しめることになった。レッドビーターの望みで神智学関係者がクリシュナムルティに過剰な敬意を示し、遊ぶ少年たちが選ばれ、彼が集会に現れると全員起立し最敬礼するなど、組織的に特別に扱われていた。ベサントがクリシュナムルティに仕える選ばれたメンバーからなる「黄色いショール団」、そこからさらに選別された「紫の教団」を作ったが、彼らの黄色いショールや紫のリボンといった特別さの演出は失笑を買っていた。
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