研究小史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 22:08 UTC 版)
図3 文字の発達段階に基づく(とかつて考えられていた)文字体系の類型ピクトグラム (絵文字) 表意文字 (象形文字を含む) 表音文字 音節文字 アルファベット a 今日の意味での表意文字ではない。b しばしばアブギダを含めて言った。c アルファベットのほかにアブジャドを含める場合もあった。 ヨーロッパ世界では、伝統的に、文字は音声の補助にすぎないという考え方が根強くあった。ソクラテスは、文字に頼ると記憶力が減退し、文字で書かれたものは弁舌よりも説得力が劣ると考えた。後に地中海沿岸世界ではエジプトヒエログリフが忘れられ、ヨーロッパとその周辺ではアルファベットなどの音素文字だけが使われるようになったため、音声を忠実に再現することこそ文字の本質だという考えはいっそう強まった。さらにルソーは、「事物の描写は未開の民族に、語や文章の記号は野蛮な民族に、アルファベットは政府に統治された民族に一致している」と述べ、使用される文字体系の種類が社会の進歩の度合いを反映しているという考えを示した。この3つはピクトグラムや象形文字、表語文字、表音文字に対応している。 18世紀には、さまざまな言語を客観的に比較する姿勢が強まったが、文字の研究は音声学の一分野として行われるにとどまった。このような思潮から、文字は象形文字から音節文字へ、さらには音素を完全に表記できるアルファベットへと発達していくものだと広く信じられるようになり、一時は主流的な考え方にもなった(#図3参照)。 しかし、今日の言語学では、以上のような説は、完全にとはいえないまでも、ほぼ正しくないことがわかっており、当然のこととして、使用する文字体系の種類が社会の進歩の度合いを表すというような見方は完全に否定されている。 また、中華世界では事情が異なっていた。上古にすでに甲骨文が見られるが、これは卜占による神意を伝えるものであった。封建制が成立した後も、文字使用の独占は権力の源泉となった。周王朝の滅亡によって文字の技術は独占を脱し、文字の使用は広まったが、表語文字(後述)としての漢字の能力は、多くの方言や言語を横断する共通の意志疎通手段として、中華世界の一体性を維持することにつながった。さらに、華夷秩序の拡大に伴い、周縁社会にとっては、漢字は文明の中心地から先進文化を受け入れ、その権威に与るための手段となった。その間、中原にはさまざまな民族が侵入し、多くの王朝が交代したが、漢字は使われ続けた。 中国語は1音節が1形態素に対応する孤立語であり、漢字はその形態素を書き表したので、文字がすなわち言語であった。そのため言語学は発達を見ず、代わりに文字を手がかりに古えの文献を読み解く訓詁の学が発展した。個々の文字は「形音義(字形、発音、意味)」の3要素によって分類考証されるようになった。 20世紀に入ると文化人類学や構造主義言語学が起こり、人間の諸活動のうち文字の使用についても通時的側面とともに共時的側面からも検討する方法論が主流となった。また考古学の発展もあって、文字の発達や分化の理論も修正された。
※この「研究小史」の解説は、「文字」の解説の一部です。
「研究小史」を含む「文字」の記事については、「文字」の概要を参照ください。
- 研究小史のページへのリンク