研究当初の歴史とノーベル賞など
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/19 17:40 UTC 版)
「主要組織適合遺伝子複合体」の記事における「研究当初の歴史とノーベル賞など」の解説
1930年代にPeter Alfred Gorerが、移植片拒絶の研究を本格的に開始した。 そして1940年代にアメリカのジョージ・スネルにより、同系を20代以上かけあわせたマウスをつかった移植の研究によって、1940年代には原因物質としてマウスのH-2抗原が発見された。 1950年代には、フランスのジャン・ドーセにより、頻繁に輸血を受けた人の血液をもとに得られた血清に、他人の白血球を凝集させる抗原があることが発見され、LHAの発見となった。 MHCの研究は当初、ジョージ・スネル、バルフ・ベナセラフ、ジャン・ドーセ、ヒュー・マグデビットなどによって、遺伝子が発見された。ジョージとバルフとジャンの3人は1980年にMHCの研究業績によりノーベル生理学・医学賞を受賞した。 その後、1987年にはハーバード大学で当時は研究員だったPamela J. BjorkmanによってMHCクラスI抗原タンパク質の結晶化に成功し、X線で結晶構造が解析された。 1993年には、ジャック・ストロミンジャーがMHC-ペプチド複合体の溝の仕組みを解明したことなどの業績で、アメリカの医学賞であるラスカー賞をDon Wiley、Emil R. Unanueとともに受賞し、1999年にはストロミンジャーとWileyが日本国際賞を受賞した。また、1978年にスイスのロルフ・ツィンカーナーゲルが、T細胞がウイルスを殺害する際に抗原だけでなくMHCも認識する必要があることを発見し、これらの業績により1996年にノーベル生理学・医学賞を受賞した。
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