白人の探検と入植
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ピルグリムはその地域で初めての人間ではなかった。その地域固有のインディアン以外にも、ヨーロッパ白人による1世紀近い探検、漁労および入植の歴史があった。ジョン・カボットが1497年にニューファンドランド島を発見し、イギリスは北アメリカの東海岸に広大な領有権を主張することになった。ニューイングランドの初期の地図の一つは、1540年頃、地図製作者ジャコモ・ガスタルディによるものだったが、ケープブレトン島をナラガンセット湾と見誤っていた。この誤りでニューイングランドの海岸の大半が消えていた。ヨーロッパの漁師は16世紀から17世紀の大半をニューイングランド海岸沖で操業していた。 フランス人サミュエル・ド・シャンプランは1605年にこの地域を探検した。特にプリマス港を探索して「セントルイス港」と名付け、そこと周辺の土地の広範で詳細な地図を作成した。プリマスの町が間もなく造られることになるインディアンの集落、「パチュケット」が将来白人にとっては「楽しみな入植地」としてシャンプランの地図に載った。しかし、メイフラワー号が到着する15年前に、イギリス人漁師によってこの地域にもたらされた病気が、この地域のインディアンの90%を絶滅させていた。この病気は天然痘だと一般に考えられていたが、最近の研究に拠るとあまり知られていないレプトスピラ症だった可能性があると結論付けられた 。ピルグリムが入植したことに対してインディアンからの抵抗がほとんど無かったことは、その植民地とイギリスによるアメリカ大陸の植民地化そのものを成功に導いた重要な要因になった可能性がある。 ポパム植民地、別名セントジョージ砦はプリマス会社(プリマス植民地と関係は無い)によって組織され1607年に開設されていた。現在のメイン州の海岸に造られたこの植民地は、内部の政治的な闘争や、病気と厳しい気候によって悩まされ続けていた。この植民地は1608年に放棄された。 ジェームズタウンで名を上げたジョン・スミス船長は、プリマス植民地近くを1614年に探検し、ニューイングランドという名前を付けたとされている。スミスはインディアンたちの言葉を聞き書きして、多くの地名を付けた。ピルグリムが最初に入植する場所は、スミスによって当初アッコマックと呼ばれた。イングランド王ジェームズ1世の息子、当時皇太子だったチャールズ1世と相談して、スミスはアッコマックをニュープリマスと変えた。1616年にスミスが出版した地図「ニューイングランドの記述」(A Description of New England)では「ニュープリマス」(New Plimouth、綴りが1文字異なる)と書かれている。 メイフラワー号の入植者が最初にケープコッドを探検したとき、白人が以前にそこで多くの時を過ごした証拠に出くわした。白人の砦の跡を発見し、墓を暴くと白人成人男性とインディアンの子供の遺骨があった。
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白人の探検と入植
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「グランドティトン国立公園」の記事における「白人の探検と入植」の解説
ティトンは、山脈の3つの最高峰をLes Trois Tetons(3つの胸)と呼んだフランス人探検家達によって名づけられた。18世紀及び19世紀に、白人の毛皮猟師と毛皮商が高山に囲まれた深い谷を「ホールズ(穴)」と呼んだ。そうした毛皮猟師の一人がデイヴィッド・ジャクソンで、1829年彼の大好きな身を隠すための場所が彼の名に因んで名づけられた。 ルイス・クラーク探検隊の一員である、ジョン・コルターが、早くも1805~1806年に現在ジャクソン・ホールとして知られる地域を訪問した最初の米国白人である。地理学者F・V・ヘイデンが1860年にレイノルズ探検隊の一員としてこの地域を訪れた。1871年の夏、彼はすぐ北のイエローストーン地域で初めての政府が支援する科学調査隊を率いた。この調査隊の一部は、これは地理学者ジェイムズ・スティーブンソンが率いるものだったが、イエローストーンで探検隊の他の半分と出会う前にティトン・パス経由でジャクソン・ホールを旅した。通過する際、イエローストーンの最初の責任者N・P・ロングフォード、写真家ウィリアム・ヘンリー・ジャクソン、芸術家ウィリアム・ヘンリー・ホームズを含むチームは、この地域の地図を作り、地理学と生物学の調査を行った。これらのデータは後にヘイデン調査報告書に含められた。
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