白人による植民地化と占領
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/09 05:29 UTC 版)
「メイン州の歴史」の記事における「白人による植民地化と占領」の解説
メインにおける白人による入植は、1604年、著名な探検家サミュエル・ド・シャンプランを含むフランス隊によるものだった。フランス人はメインを含む地域をアカディアと呼んだ。後にイギリス人入植者がアカディアを北方に押し上げ、今日のカナダのマリタイム(ニューブランズウィック州、ノバスコシア州およびプリンスエドワードアイランド州の総称)を指すことになった。 プリマス会社の後援を得たイギリス人入植者が最初に入植を試みたのは1607年だったが、失敗した。メリマック川とケネベック川の間の土地は当初、1622年にフェルディナンド・ゲルゲスとジョン・メイソンに特許されたメイン植民地として知られていた。この二人が1629年に土地をピスカタクァ川で二つに分けて、南はメイソンがニューハンプシャー植民地を、北はゲルゲスがニューサマセットシャー植民地を造った。北側の植民地が今日のメイン州に相当する。しかし、ニューサマセットシャー植民地への植民は失敗し、イングランド王チャールズ1世によってゲルゲスに2回目の特許が下った。この特許は再度メイン植民地を対象としていたが、ゲルゲスの2回目の試みも不成功に終わった。 現在のメイン州でケネベック川の北部と東部にはほとんど入植者が入らず、17世紀にサガダホック領土と呼ばれていた。1669年、この土地にはメイン植民地と共に、新たな特許が発行された。この時はチャールズ2世がヨーク公ジェームズ(後のジェームズ2世)に特許を与えた。この特許では、セントローレンス川から大西洋までの広大な範囲を含んでおり、コーンウォール郡とされた。コーンウォール郡は広大に拡がったニューヨーク植民地の一部でもあった。サガダホック領土を組み込んだメインはピスカタクァ川からセントクロア川までの海岸線を含んでおり、今日のメイン州の全海岸を取り込んでいた。 1673年、この領土の一部がデボンシャーを造るために分離された。残りの地域は1675年の戦争でアベナキ族に占領された。メインの中でも大きな入植地であったポートランドの町(当時はファルマスと呼ばれていた)はワンパノアグ族によって破壊し尽くされた。1683年、コーンウォール郡は再度ニューヨーク植民地の一部とされ、ニューヨーク植民地自体は1687年にニューイングランド自治領として占領された。1692年、ピスカタクァ川からセントクロア川までのメイン植民地の全部がマサチューセッツ湾植民地に吸収され、ヨークシャーという名前になった。この名前は現在のヨーク郡となって残っている。 17世紀から18世紀初期にかけて、メインではフランスとイギリスの間の抗争が続いた。フレンチ・インディアン戦争の時にフランス領アカディアをイギリスが破り、ペノブスコット川から東がノバスコシア植民地の管轄に入り、現在のブランズウィックはサンベリーのノバスコシア郡となった。政庁はカンポベロ島に置かれた。
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