生い立ち、竹内書店入社とは? わかりやすく解説

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生い立ち、竹内書店入社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 10:22 UTC 版)

安原顯」の記事における「生い立ち、竹内書店入社」の解説

東京市目黒区緑が丘生まれ育つ父親サラリーマンだったが、切手レコードコレクション行っている「趣味人」だった。1944年安原5歳のときに、父親肺病他界戦後母親安原と妹の3人は、大井町にある母方の祖父宅に同居する。だが、祖父は「父系主義者」で、2年後に、「亡くなっていた次男」の嫁と2人の孫を呼びよせて、彼等を「内孫」、安原兄妹を「外孫」と差別するうになるこの際感じた屈辱が、のちの安原の「罵倒的批評活動つながっていく。 大田区立大森第三中学校進学図書委員になり、読書目ざめる。また、父親残していたクラシックのレコードから音楽目覚めFENから聞こえ洋楽ポップス聞いて歌を覚え自分でも英語で歌っていた。 だが、都立志望受験失敗し1955年母親出身校である、戦前女子校であった東京都立八潮高等学校進学。しかし、「元女子校に通う」というのが安原プライド許さず半年後に中退。翌1956年早稲田高等学院再入学学校図書館で、文学思想芸術に関する書籍数多く読んだ2年生の時は、アルバイトで、大学生のハワイアン・バンドにボーカルコンガ奏者として参加した2年から3年進級する際に落第2年生を2回やっている早稲田高等学院時代学友には、露木茂渡辺武(のち日本郵船)、昆田文彦(のち古河電工)らがいた。 1960年早稲田大学第一文学部仏文科進学祖父の家を出てアパートに住む。母親には「学費払ってくれれば生活費自分で稼ぐ」と宣言するが、「天才働かない」と友人たちに言い実益兼ねて本屋で本を万引きし読み終わった古本屋に売る、という生活を送るようになるついには万引き名人になり、生活用品も盗むようになった。また、アパートの隣に住んでいた、高校時代からの友達部屋から、米を盗んだりもした。 大学同級生では原(のち、翻訳家)、中川道弘(歌人古書店上野書店店主)らと親しくなった。 21歳の時、のちに妻となる1学年先輩の、早大文学部の筑土まゆみと出会い、彼女の親族反対振り切って同棲。筑土は4年大学卒業し博報堂就職してコピーライターとなるが、安原が「女に食わせてもらう」ことに耐え切れなくなり退職余儀なくされることとなった安原マスコミ試験いくつも受けるが、ほとんどが一次試験落とされた。1964年無名だった頃の池田満寿夫紹介で、25歳にしてようやく『早稲田公論編集者となるが、すぐに廃刊となる。次にミュージック・マンスリー社に入社するがこの会社解散。のち、洋書販売をしていた、竹内書店入社し翻訳物単行本企画1968年には季刊『パイディア』を創刊現代思想や、先鋭的文学紹介第7号からはジェイムズ・ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』の翻訳連載が、大澤正佳はじめとする東京都立大研究チームにより開始終刊号の「フーコー特集」を担当した中野幹隆は、のちに『現代思想』『エピステーメー』を創刊している。

※この「生い立ち、竹内書店入社」の解説は、「安原顯」の解説の一部です。
「生い立ち、竹内書店入社」を含む「安原顯」の記事については、「安原顯」の概要を参照ください。

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