浅草本願寺の憲政碑建立と碑文の削除問題
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「憲政碑」の記事における「浅草本願寺の憲政碑建立と碑文の削除問題」の解説
胎中の全国の憲政功労者顕彰のための憲政碑は、建設予定地とされた浅草本願寺を始め、大日本相撲協会、そして大日本相撲協会の藤島秀光、伊勢ヶ濱勘太夫、そして東京拘置所所長の谷内庄太郎から多大な後援を受けつつ、その建立が進められた。石材は宮城県雄勝郡稲井村(現宮城県石巻市稲井)産の仙台石(稲井石)で、高さ634センチメートル、横227センチメートル、厚さ42センチメートル、重さは約16.875トンという、海老名村の憲政碑の倍以上の大きさの巨石が選ばれた。台座は筑波山麓の茨城県桜川市真壁町産の花崗岩である小目石、そして玉垣には茨城県笠間市産の稲田石が選ばれた。 碑石の確保と並行して、胎中は題字の揮毫者として大日本帝国憲法起草者で唯一存命していた枢密顧問官伯爵金子堅太郎に白羽の矢を立てた。金子は枢密顧問官としてかねてから憲法から逸脱する動きに対して厳しい目を向けており、胎中からの依頼を快諾して題字の揮毫を行った。続いて胎中は碑の裏面に刻む碑文を起草したが、ここでトラブルが発生した。胎中の起草した碑文に警視庁がクレームをつけてきたのであった。まず問題となったのが 板垣伯ニ岐阜ノ遭難アリ 大隈侯ハ隻脚ヲ奪ハレ 星亨氏ハ刺サレ 伊藤公ハ哈爾賓駅頭ノ露ト消エ 原敬氏ハ刺殺サレ 濱口雄幸 井上準之助両氏ハ撃タレ 犬養毅氏ハ五・一五事件ニ犠牲トナリ 高橋是清翁ハ二・二六事件ニ射殺セラレタ との部分で、胎中は警視庁に呼び出された上で、これまで憲政に尽力してきた著名な政治家たちの受難の歴史について紹介した部分を削除するように要求された。この要求に対して胎中は、「文章が悪ければいかようにも直しましょう。あなたの方でこうせい、ああ直せということならば直してもよろしいが、しかし事実を否定するようなことであったら私にも考えがあります」。と主張し、要求を突っぱねた。 胎中の削除要求拒否を前に、警視庁側はこの日はまあよく相談しましょうと対応したが、後日再び胎中を呼び出した。すると今度は 多年幾多ノ政党政治家ガ ヨク清節ヲ守リ国事ニ尽クシ マタ無数ノ有志ガ財産ヲ傾ケ身命ヲ抛ツテ憲政ニ貢献セルヲ憶ヘバ 国家ノ給与ニ衣食セルモノ之奉公トハ同日ノ談ニアラズ という、有名無名を問わず、財産を投げ打ち、文字通り身命を賭してまでも憲政に貢献し、国事に尽くしてきた政党政治家のことを思えば、お国から給料を貰っている役人、官僚たちの奉公など比べ物にならないという、役人、官僚を批判したくだりが問題であるとして、「国家ノ給与ニ衣食セルモノ之奉公トハ同日ノ談ニアラズ」の一文を削除するように要求してきたのである。胎中と警視庁側との押問答が繰り広げられた結果、胎中は「之奉公」の三文字を削除することを了承し、この問題は決着した。 結局胎中の憲政碑に込めた思いは警視庁の圧力によって修正を余儀なくされたが、それでもなお たとえ一字でも潰したところがあると、どういう訳で潰したのだろうかという疑いは必ず起こる。そしてもし私がこういうわけで潰したのだと記録に残しておいてご覧なさい。なんでこんなつまらぬことを、と言うようなことがあっては面白くないのではないか。 と、警視庁側に主張した。結局、浅草本願寺に建立された憲政碑の碑文には「之奉公」三文字分の欠字がある。 完成した碑文は、書家の松本芳翠によって揮毫された。内容的には海老名の憲政碑と同様、まずは大日本帝国憲法の発布、自由党、改進党に始まる日本の政党史から説き起こし、続いてこれまでに憲政がもたらした大きな功績を称えた。その上で この頃、ややもすれば議をなすものあり。曰く、今のごとき非常時に際し、公を忘れ私を営むの政党は国家のと害(獅子身中の虫)なりと。なんぞ知らざるの甚だしきや。 と、非常時にかこつけて政党を有害視する風潮に警鐘を鳴らした。そしてこれまで政党政治家が大きな犠牲を払いつつ憲政の発展、そして国事に尽くしてきたことを強調し、最後に海老名の憲政碑と同じく、憲政碑を建立することによってこれまで憲政に尽力してきた人々の功績を称え、後進が先人の志を学んで憲政のために奮起することを願うとしめくくられている。 憲政碑の建立場所は浅草本願寺総門を入って左側に決まった。1937年(昭和12年)11月3日、浅草本願寺の役僧と関係者が集い、定礎式が行われた。碑の建立は順調に進み、第73回帝国議会召集を前にした12月23日に憲政碑の除幕式が行われることになった。
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