洋菓子職人として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/20 05:39 UTC 版)
「小山進 (パティシエ)」の記事における「洋菓子職人として」の解説
1983年、「スイス菓子ハイジ」でカフェのフロアスタッフからキャリアを重ね、その後、わずか2年で21歳にして新店舗(神戸市垂水区の星陵台店)の店長に抜擢される。そこでは商品開発や背広を着ての営業もこなしている。実績が認められてパティシエに昇格。その後、本店シェフ・パティシエ、商品開発部長を歴任。この間に多くの洋菓子コンクールで優勝を重ねた。 1999年12月31日 - 「スイス菓子ハイジ」を退職し独立。病気の長男の治療費を得るために、菓子のコンサルティング、新商品の提案など全国を飛び回る。この頃、テレビ東京の番組「TVチャンピオン」に出演し、グランドチャンピオン大会優勝を果たすが、その過程で生まれたのがその後の主力商品となる「小山ロール」である。 2000年に36歳で独立、一時コンサルティング会社に勤め、2003年、「パティシエ エス コヤマ」を三田にオープン。少年時代の夏休みを過ごした祖母の家に似て緑の多い三田を気に入り、周囲の反対を押し切り出店。商品のみならず、空や風といった自然環境、空間、スタッフの姿などあらゆる要素を重視して決められた。当初、小さな工房と一つの店だけで始め、徐々に売り上げを増やし後に1日1600本を売り上げた記録を持つ主力の小山ロールを中心として販売、その後取扱商品の増加とともに本店に集約されていた商品やサービスを、お菓子教室、カフェ、マカロン工房、ギフトサロン、パン工房、アイスクリーム工房、デコレーション&アニバーサリーケーキ専門店などカテゴリーごとに分家させる形で次々にオープンさせていった。2017年現在、最後に分家させたデコレーション&アニバーサリーケーキ専門店「夢先案内会社 FANTASY DIRECTOR」開店までには14年の歳月をかけている。小山は「放置させない生き方」を貫き、その思いが常に現状の店づくりに反映されていると考えている。 当初は一つだった店舗を、商品のアイテムごとに店舗を分家していった理由に関して小山自身は、自分は心配性あるいは臆病で、自分自身も自分の空間も商品も、膨張していく感覚、薄らいでいく感覚がすごく嫌だったため、できれば凝縮したいと考えていたが、予想外の集客に対し、客の立場に立ち買いにくさを解消するため、そうした。しかし、専門店化することで前よりもさらに真剣に取り組むことになったので、拡張ではなく凝縮であると考えを示している。その典型例がショコラで、「ロジラ」の前身の「キャトリエンム ショコラ 進」の誕生により、その後、小山はショコラの世界により深く沈潜してゆくことになる。
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