法律家活動
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作家活動開始後は、シカゴのソネンシャイン・ナス・ローゼンタール国際弁護士事務所のパートナー弁護士として、無料弁護(プロボノ)を引き受け、弁護活動に従事。ほとんどの時間は後述する二つの死刑事件についての再審に割いた。検事補時代の米国には死刑制度はなかったが、1988年に死刑が復活、1994年より広範に死刑が適用される事態となっている。学生・院生時代を通じトゥローは死刑制度が野蛮であると感じつつ、死刑に敢えて反対はしないものの、死刑制度が社会に対し良いことをもたらすと説明する術(すべ)を持てなかった。 再審の一つ目は1994年、死刑囚アレックス・ヘルナンデス (Alejandro Hernandez) の弁護人を受任し、検察官や警察官による証拠捏造、デュー・プロセス無視など数々の事実を暴いて冤罪を立証、1995年に確定判決を覆して無罪をかちとり、ヘルナンデスの11年におよぶ死刑囚生活に終止符をうたせ、釈放させる。この冤罪事件でトゥローは、検察官や警察官、そして陪審員が、誤った証拠を真に受け、さらに捜査官憲が証拠捏造にまで手を染める事実を学んだ。 二つ目に、強盗殺人事件ではあったが、当初は殺害の意図はなく、結果的に偶発的殺人におよんだ死刑囚クリス・トーマス (Christopher Thomas) の弁護人を1996年に受任している。犯行のタイミング、あるいは殺意を持ち続けたうえでの犯行と衝動的殺人との間に量刑の不均衡があると感じ、死刑を適用する基準に疑問を持ったからであった。この事件の受任中にトゥローは、人種・性別による量刑の不均衡や、事件によっては司法処理上の本質的ではない偶発的条件によって量刑が左右される現実を認識するに至った。死刑確定判決後、トゥローら弁護人は非常救済手段のための請願などで再審を働きかけた結果、レーク郡巡回裁判所は1999年12月、検察官がトーマスに不利となる証言を強制してトーマスの権利を侵害したと認定。トーマスの死刑判決を覆して、懲役100年に減刑する判決となった。受刑態度によってトーマスは、71歳で釈放される可能性がある。 州務長官であった共和党員ジョージ・ライアン (George H. Ryan) は1999年1月、イリノイ州知事に就任。ライアンはその後の在任期間中、中絶に対する補助金打切りに拒否権を行使したり、銃器所持反対を支持するなど、左寄りの路線を取ることになるが、知事選では死刑制度支持を強固に掲げて当選している。トゥローは知事選の際、選挙争点を検討し、名ばかりの民主党員は支持せず、ライアンを支持していた。 ライアンの在任中、イリノイ州では死刑事件で数多くの冤罪や量刑不当が発覚、その割合は三分の一に達すると推定され、同州を揺るがす大きな問題となった。そこでライアンは2000年1月、死刑執行の一時停止を宣言、同時に12名の法律家と1名の上院議員を含む14名で構成する死刑諮問委員会を設置。諮問委員会は85項目の勧告提案(うち90パーセントは委員会満場一致)を含む報告書(答申)を2002年4月15日知事に提出した。報告書はトゥローが起草している。その結果、ライアンは2003年1月、すべての死刑囚167名の減刑、あるいは無罪を理由に恩赦(釈放)を決定した。 トゥローは2年間の諮問委員としての活動によって、死刑廃止論者となった。諮問報告書提出後の2002年10月に、アレックス・ヘルナンデスの冤罪事件に着想を得た小説 Reversible errors (『死刑判決』)を出版。さらに2003年10月には、トゥローが死刑をめぐって、体験したこと、学んだこと、あるいはそれによって死刑に対する考え方の変遷してゆく過程を綴った Ultimate Punishment:A Lawyer's Reflections on Dealing with the Death Penalty (『極刑 死刑をめぐる一法律家の思索』岩波書店)を出版している。
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