治水から利水へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/03 10:01 UTC 版)
1951年(昭和26年)、国土総合開発法の施行に伴い、利根川水系は「利根特定地域総合開発計画」の指定地域となり、より強力な河川開発を行うこととなった。1950年代には前記のダム事業のうち、藤原ダム・相俣ダム・五十里ダムが完成していたが、これに加え日本最大の多目的ダム事業となる予定の沼田ダム計画、印旛沼付近から東京湾へ利根川の洪水を放流する利根川放水路計画、そして利根川河口堰計画が新規事業として計画された。 だがこの頃になると戦後の混乱期を脱し次第に東京都の人口が増加、また京浜工業地帯の拡充による工業生産活動の増大により、急速に上水道・工業用水道の需要が拡大した。1957年(昭和32年)には多摩川に小河内ダムが完成したが、これだけでは安定した水供給は望めず、さらに埼玉県・千葉県等の郊外でも人口が増加し、水需要の逼迫は明白となった。これに対処すべく、政府は1967年(昭和32年)に水資源開発促進法を施行し、総合的な利水事業の整備を目的とした水資源開発公団(現・水資源機構)を設立。関東と関西の急増する水需要に対応しようとした。利根川は淀川とともに水資源開発水系に指定され、以後「利根川水系水資源開発基本計画」(フルプラン)に基づく水資源開発が公団によって手掛けられるようになった。これより利根川の河川開発は洪水調節を主眼においた治水から、安定した水供給の確保という利水に重点が置かれるようになった。 公団発足の同年矢木沢ダム・下久保ダムが建設省より公団に事業移管され、その後フルプランの改定に伴い事業が拡大。草木ダム・利根川河口堰が新たに公団に事業移管した他奈良俣ダムが計画された。1968年(昭和43年)には思川開発が事業に加わり、1974年(昭和49年)には荒川が水資源開発水系に指定され、利根川水系と一体化した水資源開発が実施された。一方、建設省は従来足尾銅山の鉱毒沈殿を目的としていた渡良瀬遊水地の利水目的付加にも乗り出し、1973年(昭和48年)より「渡良瀬第一貯水池」(谷中湖)建設事業を行い、1989年(平成元年)に完成。翌1990年(平成2年)には奈良俣ダムも完成し、2020年(令和2年)になり八ッ場ダムが完成。利根川上流ダム群より放流される水は利根川中流の利根大堰で取水され、武蔵水路を経て東京都へ送水される。この他見沼代用水や房総導水路、霞ヶ浦用水等を通じ埼玉県・千葉県・茨城県へも供給される。ダムの水は汚染しきった隅田川の水質改善にも寄与している(詳細はダムと環境参照)。 なお、五十里ダム・川俣ダム及び1983年(昭和58年)に完成した川治ダム(鬼怒川)、2012年(平成24年)に完成した湯西川ダム(湯西川)は、鬼怒川上流ダム群と総称されている。
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