民主党・小沢自由党時代から民由合併とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 民主党・小沢自由党時代から民由合併の意味・解説 

民主党・小沢自由党時代から民由合併

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/31 16:11 UTC 版)

民社協会」の記事における「民主党・小沢自由党時代から民由合併」の解説

新党友愛4月解党して民主党結成参加した7月第18回参議院議員通常選挙では、旧同盟労組支援を受ける直嶋正行自動車総連支援)・勝木健司UIゼンセン同盟支援)・長谷川清電力総連支援)の3名が民主党比例代表名簿登載され、全員再選している。 2000年6月第42回衆議院議員総選挙では、神田厚西村章三引退島津尚純吉田治鰐淵俊之安倍基雄中村鋭一落選した2001年7月第19回参議院議員通常選挙では、民主党比例代表名簿候補者擁立し以降も常に民主党から候補擁立している。初め行われた非拘束名簿式選挙で、藤原正司電力総連支援)・池口修次自動車総連支援)を初当選させた一方ゼンセン同盟支援する柳澤光美落選した2002年9月民主党代表選挙では、独自候補として中野寛成擁立動いた告示直前撤回し鳩山由紀夫支援し鳩山代表再選原動力となった。しかし、その後中野幹事長就任論功行賞として党内外から強い批判浴び鳩山執行部はわずか3か月足らず辞任追い込まれた。 2003年11月第43回衆議院議員総選挙では、伊藤英成鍵田節哉今田保典塩田晋引退吉田返り咲いた2004年7月第20回参議院議員通常選挙では、直嶋を再選させたほか、小林正夫電力総連支援)と柳澤初当選させている。 2005年9月第44回衆議院議員総選挙では、米沢隆中野など多く議員落選し勢力大きく後退させた。同選挙後行われた9月民主党代表選挙では、9月17日自主投票決定したが、大半前原誠司支持したとされる10月には旧民社党議員でつくる創憲会議新憲法草案発表した2006年川端達夫理事長就任し川端グループ呼ばれるようになった4月民主党代表選挙では、小沢一郎支持し党内保守系鳩山グループ小沢グループなどとの関係を深めた2007年7月第21回参議院議員通常選挙では、藤原池口再選させたほか、川合孝典UIゼンセン同盟支援)を初当選させている。 2009年5月民主党代表選挙では、自主投票としたが、大半鳩山支持し8月第45回衆議院議員総選挙民主党政権交代を果たすと、翌月発足した鳩山由紀夫内閣では川端達夫中井洽直嶋正行入閣した2010年6月民主党代表選挙では、6月4日菅直人支持決定し2010年6月発足菅内閣では川端中井・直嶋ら全員留任した7月第22回参議院議員通常選挙では、直嶋・柳田小林柳澤再選させた一方木俣佳丈引退島田智哉子落選した9月民主党代表選挙では、8月18日に「代表選に臨むにあたって基本姿勢」を提言し民主党綱領制定国家戦略局衆参憲法審査会設置などを求めたまた、独自候補擁立模索したものの、断念した告示後は、民社協会としての支持候補一本化調整難航し地方議員党員・サポーター自主投票とした。最終的に拘束力のない会長声明として、再選支持打ち出した9月発足菅改造内閣では柳田稔高木義明2人入閣したが、柳田失言11月22日辞任した2011年1月発足菅第2次改造内閣では、ベテラン中野寛成国家公安委員会委員長として初入閣し、高木留任した2011年6月をもって愛知民社協会解散した同年民主党内のグループ重複しないことを条件入会者を募り辻泰弘10人の希望があった。 2011年8月民主党代表選挙では、支持候補一本化図ったが、会長田中慶秋前原支持示唆したところ異論噴出し自主投票となった野田内閣発足にともない元文科学大臣の川端総務大臣として再入閣を果たすが、中野・高木は退任となり、1ポストだけの入閣となった。また副大臣も2ポストしか獲得できなかった。11月14日平田健二参議院議長就任した2012年1月発足野田改造内閣では松原仁国家公安委員会委員長消費者及び食品安全担当大臣として初入閣総務大臣川端留任した9月民主党代表選挙では、8月29日野田再選支持決定し10月発足野田第3次改造内閣では田中慶秋城島光力三井辨雄小平忠正中塚一宏初入閣果たした2012年12月第46回衆議院議員総選挙では、中野・中井が引退し会長川端現職閣僚城島三井小平中塚らも落選してグループ壊滅的打撃を受ける。その後後任会長高木選出され通称川端グループから高木グループ変わった12月民主党代表選挙では、海江田万里支持した2013年7月第23回参議院議員通常選挙では、選挙区山根隆治榛葉賀津也辻泰弘比例区川合孝典礒﨑哲史浜野喜史定光克之・轟木利治擁立した結果は、民主党大敗影響をここでも受け、当選・礒﨑・浜野の3人に留まり現職山根辻・川合・轟木落選した。しかし、礒﨑(自動車総連)と浜野電力総連)は、前回組織内候補より票を上積みし、民主党比例区1・2位を占め組織力見せた2014年5月9日三日月大造比例近畿ブロック復活当選)が滋賀県知事選に出馬するため民主党離党議員辞職し、代わって比例名簿次点川端繰り上げ当選した。これによって川端1年5か月ぶりに政界に復帰した。 2015年1月民主党代表選挙では、UAゼンセン基幹労連岡田克也支持JAM細野豪志支持電機連合内部で対応が割れるなど、労組間・労組内で支持分散したため、民社協会としては岡田推薦する拘束力はないものとした。

※この「民主党・小沢自由党時代から民由合併」の解説は、「民社協会」の解説の一部です。
「民主党・小沢自由党時代から民由合併」を含む「民社協会」の記事については、「民社協会」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「民主党・小沢自由党時代から民由合併」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「民主党・小沢自由党時代から民由合併」の関連用語

民主党・小沢自由党時代から民由合併のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



民主党・小沢自由党時代から民由合併のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの民社協会 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS