民主党・小沢自由党時代から民由合併
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「民社協会」の記事における「民主党・小沢自由党時代から民由合併」の解説
新党友愛は4月に解党して民主党の結成に参加した。7月の第18回参議院議員通常選挙では、旧同盟系労組の支援を受ける直嶋正行(自動車総連支援)・勝木健司(UIゼンセン同盟支援)・長谷川清(電力総連支援)の3名が民主党の比例代表名簿に登載され、全員再選している。 2000年6月の第42回衆議院議員総選挙では、神田厚・西村章三が引退、島津尚純・吉田治、鰐淵俊之・安倍基雄・中村鋭一が落選した。 2001年7月の第19回参議院議員通常選挙では、民主党の比例代表名簿に候補者を擁立し、以降も常に民主党から候補を擁立している。初めて行われた非拘束名簿式の選挙で、藤原正司(電力総連支援)・池口修次(自動車総連支援)を初当選させた一方、ゼンセン同盟が支援する柳澤光美は落選した。 2002年9月の民主党代表選挙では、独自候補として中野寛成擁立に動いたが告示直前に撤回して鳩山由紀夫を支援し、鳩山代表再選の原動力となった。しかし、その後中野の幹事長就任が論功行賞として党内外から強い批判を浴び、鳩山執行部はわずか3か月足らずで辞任に追い込まれた。 2003年11月の第43回衆議院議員総選挙では、伊藤英成・鍵田節哉・今田保典・塩田晋が引退、吉田が返り咲いた。 2004年7月の第20回参議院議員通常選挙では、直嶋を再選させたほか、小林正夫(電力総連支援)と柳澤を初当選させている。 2005年9月の第44回衆議院議員総選挙では、米沢隆や中野など多くの議員が落選し、勢力を大きく後退させた。同選挙後に行われた9月の民主党代表選挙では、9月17日に自主投票を決定したが、大半は前原誠司を支持したとされる。10月には旧民社党系議員でつくる創憲会議が新憲法草案を発表した。 2006年、川端達夫が理事長に就任し、川端グループと呼ばれるようになった。4月の民主党代表選挙では、小沢一郎を支持し、党内保守系の鳩山グループ・小沢グループなどとの関係を深めた。 2007年7月の第21回参議院議員通常選挙では、藤原・池口を再選させたほか、川合孝典(UIゼンセン同盟支援)を初当選させている。 2009年5月の民主党代表選挙では、自主投票としたが、大半は鳩山を支持し、8月の第45回衆議院議員総選挙で民主党が政権交代を果たすと、翌月に発足した鳩山由紀夫内閣では川端達夫・中井洽・直嶋正行が入閣した。 2010年6月の民主党代表選挙では、6月4日に菅直人支持を決定し、2010年6月発足の菅内閣では川端・中井・直嶋ら全員が留任した。7月の第22回参議院議員通常選挙では、直嶋・柳田・小林・柳澤を再選させた一方、木俣佳丈が引退、島田智哉子が落選した。9月の民主党代表選挙では、8月18日に「代表選に臨むにあたっての基本姿勢」を提言し、民主党綱領の制定や国家戦略局・衆参の憲法審査会の設置などを求めた。また、独自候補の擁立を模索したものの、断念した。告示後は、民社協会としての支持候補一本化の調整に難航し、地方議員と党員・サポーターは自主投票とした。最終的には拘束力のない会長声明として、菅再選支持を打ち出した。9月発足の菅改造内閣では柳田稔・高木義明の2人が入閣したが、柳田は失言で11月22日に辞任した。2011年1月発足の菅第2次改造内閣では、ベテランの中野寛成が国家公安委員会委員長として初入閣し、高木は留任した。 2011年6月末をもって、愛知民社協会が解散した。同年、民主党内の他グループと重複しないことを条件に入会者を募り、辻泰弘ら10人の希望があった。 2011年8月の民主党代表選挙では、支持候補の一本化を図ったが、会長の田中慶秋が前原支持を示唆したところ異論が噴出し、自主投票となった。野田内閣発足にともない、元文部科学大臣の川端が総務大臣として再入閣を果たすが、中野・高木は退任となり、1ポストだけの入閣となった。また副大臣も2ポストしか獲得できなかった。11月14日、平田健二が参議院議長に就任した。2012年1月発足の野田改造内閣では松原仁が国家公安委員会委員長・消費者及び食品安全担当大臣として初入閣、総務大臣の川端は留任した。9月の民主党代表選挙では、8月29日に野田再選支持を決定し、10月発足の野田第3次改造内閣では田中慶秋・城島光力・三井辨雄・小平忠正・中塚一宏が初入閣を果たした。 2012年12月の第46回衆議院議員総選挙では、中野・中井が引退し、会長の川端や現職閣僚の城島・三井・小平・中塚らも落選してグループは壊滅的打撃を受ける。その後、後任の会長に高木が選出され、通称が川端グループから高木グループに変わった。12月の民主党代表選挙では、海江田万里を支持した。 2013年7月の第23回参議院議員通常選挙では、選挙区に山根隆治・榛葉賀津也・辻泰弘、比例区に川合孝典・礒﨑哲史・浜野喜史・定光克之・轟木利治を擁立した。結果は、民主党大敗の影響をここでも受け、当選は榛葉・礒﨑・浜野の3人に留まり、現職の山根・辻・川合・轟木は落選した。しかし、礒﨑(自動車総連)と浜野(電力総連)は、前回の組織内候補より票を上積みし、民主党比例区の1・2位を占める組織力を見せた。 2014年5月9日、三日月大造(比例近畿ブロック復活当選)が滋賀県知事選に出馬するため民主党を離党・議員辞職し、代わって比例名簿次点の川端が繰り上げ当選した。これによって川端は1年5か月ぶりに政界に復帰した。 2015年1月の民主党代表選挙では、UAゼンセンや基幹労連が岡田克也を支持、JAMが細野豪志を支持、電機連合は内部で対応が割れるなど、労組間・労組内で支持が分散したため、民社協会としては岡田を推薦するが拘束力はないものとした。
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