歴史と分類とは? わかりやすく解説

歴史と分類

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/12 04:07 UTC 版)

ランフォリンクス」の記事における「歴史と分類」の解説

ヴィクトリア朝の頃から知られている翼竜多くの種と同じくランフォリンクス分類は複雑であり、同一の種に様々な名前与えられ上での再分類長い歴史がある。 ランフォリンクス最初命名され標本1825年収集家のゲオルク・ツー・ミュンスター (Georg Graf zu Münster) によってザームエル・トーマス・フォン・ゼメリンク (Samuel Thomas von Sömmerring) の元にもたらされた物である。ゼメリンクはその標本古代鳥類の物であると結論づけた。標本保全作業進み、歯の存在明らかになると、ミュンスターはその鋳型複製をゲオルク・アウグスト・ゴルトフス (Georg August Goldfuss) に送った。ゴルトフスはそれを翼竜だと判断した19世紀中頃記載されたほとんどの翼竜同じように、もともとランフォリンクスプテロダクティルス一種とされていた。しかし当時少なからぬ科学者がOrnithocephalus という名の方がPterodactylus よりも有効な名前であると誤認していた。そのためこのランフォリンクス標本はOrnithocephalus Münsteri という名で原記載された。これが最初に言及されたのはミュンスター自身1830年論文中でのことである。しかし、その名称を有効な物にするゴルトフスの記載文は1831年になってから、ミュンスター自身1830年の短報を補足する形で発表された。後に動物命名法国際審議会は " ü " のようなラテンアルファベット特殊な用法学名においては使用できない定めたので、1888年リチャード・ライデッカーによってmünsteri という綴りはmuensteri と修正された。 1839年ミュンスターはOrnithocephalus (すなわちPterodactylus )に属すると考えられる別の種を記載した。その種は長い尾を持つことが特徴であった。彼はその種を短い尾を持つ標本本当プテロダクティルス標本)と区別するため「長い尾」を意味する種小名付けてOrnithocephalus longicaudus と命名した1845年ヘルマン・フォン・マイヤーはOrnithocephalus münsteri という原記載名を Pterodactylus münsteri に正式に修正した。これはそのころまでにPterodactylus がOrnithocephalus に対して優先権を持つと見なされるようになったためである。引き続き1846年書かれ長い尾を持つ「翼手竜」の新種についての論文において、フォン・マイヤーは「長尾Pterodactylus 」は別の亜属をもうけるほど充分に短尾Pterodactylus 」と異なると結論し収集家Carl Eming von Gemming 所有標本元にした自分新種Pterodactylus (Rhamphorhynchus) gemmingi と命名した。後にGemming はこの標本ハールレムのTeylers Museum300ギルダー売却した1847年までにフォン・マイヤーはRhamphorhynchus亜属から属に昇格させ、その属にはその当時知られていた長尾Pterodactylus2種、すなわちR. longicaudus(最初に長い尾を持っているのが確認された種)と R. gemmingi の両方含まれていた。Rhamphorhynchus 属の模式種R. longicaudus であり、その模式標本もTeylers Museum売却されTM 6924という番号付けられて現在もそこにある。 最初に名付けられた種であるPterodactylus muenster はまだプテロダクティルス属に入れられたままだったが、1861年リチャード・オーウェンによる著作の中で再評価が行われ、その中でRhamphorhynchus münsteri として再命名された。ミュンスターとゴルトフスによって記載されR. münsteri の模式標本第2次世界大戦中に失われてしまった。本来の模式標本失われる・またはあまりに保存状態が酷すぎると見なされる場合、もし入手可能ならば新し標本または新模式標本模式標本として指定される。ヴェルンホファーは1975年のこの属に関する論評の中で、元々の模式標本から作られ精密な鋳型模型数多く博物館使用可能な形で残されているため、新模式標本指定に対して否定的な見解示したそのような模型はプラストタイプと呼ばれる1990年代までに、それ以前名付けられ多くの名前をヴェルンホファーが整理しゾルンホーフェン石灰岩ランフォリンクスにはおよそ5つの種が認められ、アフリカ・スペイン・イギリス産の部分的な化石に対して2-3種の名前が付けられていた。ゾルンホーフェン標本のほとんどはその相対的な大きさサイズ依存する特徴(たとえば頭蓋骨長さ比率)によって識別が可能である。 1995年、クリス・ベネットが当時認められていたドイツ産の種に関する広範な総論出版したベネットは別々の種とされていた全てのドイツ産種は実際に単一の種R. muensteri の異な年齢段階であり、小型の種は幼年個体大型種成熟個体、と成長度合い反映しているのだ、と結論したベネット論文アフリカ産やイギリス産の種を考慮入れていないが、ベネットはそれらの種はランフォリンクスそのものとする必要はなく、あくまでランフォリンクス科 (Rhamphorhynchidae) の構成種であると考えるべきだとしている。属の構成種1種にまで減少したが、模式種R. longicaudus のままである下記のランフォリクス科の系統樹Andres & Myers (2013) の系統分析結果に従っている。 Breviquartossa Rhamphorhynchidae     Scaphognathus crassirostris     Rhamphorhynchinae   Dorygnathus banthensis         Cacibupteryx caribensis     Nesodactylus hesperius     Rhamphorhynchus muensteri         Harpactognathus gentryii       Angustinaripterus longicephalus     Sericipterus wucaiwanensis              

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歴史と分類

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/25 03:54 UTC 版)

イクチオステガ」の記事における「歴史と分類」の解説

1932年グリーンランド東部にあるデボン紀後期地層から発見されイクチオステガ四つの種と Ichthyostegopsis 属の I. wimani がスウェーデン古生物地質学者グンナル・セヴェセダーベリ(英語版)によって記載された。これらは頭骨大きさ、点、骨のパターンについて違いがあるものの、形態学上のはっきりとした違い見られないためにシノニムとすることができる( I. stensioei のみが残った)。これらの比較1931年デンマーク探検隊グリーンランド東部発見した14点標本について行われ1933年から1955年の間にも標本追加された。

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