歴史と分類
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ヴィクトリア朝の頃から知られている翼竜の多くの種と同じく、ランフォリンクスの分類は複雑であり、同一の種に様々な名前が与えられた上での再分類の長い歴史がある。 ランフォリンクスの最初の命名された標本は1825年に収集家のゲオルク・ツー・ミュンスター (Georg Graf zu Münster) によってザームエル・トーマス・フォン・ゼメリンク (Samuel Thomas von Sömmerring) の元にもたらされた物である。ゼメリンクはその標本は古代の鳥類の物であると結論づけた。標本の保全作業が進み、歯の存在が明らかになると、ミュンスターはその鋳型複製をゲオルク・アウグスト・ゴルトフス (Georg August Goldfuss) に送った。ゴルトフスはそれを翼竜だと判断した。19世紀中頃に記載されたほとんどの翼竜と同じように、もともとランフォリンクスはプテロダクティルスの一種とされていた。しかし当時、少なからぬ科学者がOrnithocephalus という名の方がPterodactylus よりも有効な名前であると誤認していた。そのためこのランフォリンクス標本はOrnithocephalus Münsteri という名で原記載された。これが最初に言及されたのはミュンスター自身の1830年の論文中でのことである。しかし、その名称を有効な物にするゴルトフスの記載文は1831年になってから、ミュンスター自身の1830年の短報を補足する形で発表された。後に動物命名法国際審議会は " ü " のようなラテンアルファベットの特殊な用法は学名においては使用できないと定めたので、1888年にリチャード・ライデッカーによってmünsteri という綴りはmuensteri と修正された。 1839年、ミュンスターはOrnithocephalus (すなわちPterodactylus )に属すると考えられる別の種を記載した。その種は長い尾を持つことが特徴であった。彼はその種を短い尾を持つ標本(本当のプテロダクティルス標本)と区別するため「長い尾」を意味する種小名を付けてOrnithocephalus longicaudus と命名した。 1845年、ヘルマン・フォン・マイヤーはOrnithocephalus münsteri という原記載名を Pterodactylus münsteri に正式に修正した。これはそのころまでにPterodactylus がOrnithocephalus に対して優先権を持つと見なされるようになったためである。引き続き1846年に書かれた長い尾を持つ「翼手竜」の新種についての論文において、フォン・マイヤーは「長尾型Pterodactylus 」は別の亜属をもうけるほど充分に「短尾型Pterodactylus 」と異なると結論し、収集家のCarl Eming von Gemming 所有の標本を元にした自分の新種にPterodactylus (Rhamphorhynchus) gemmingi と命名した。後にGemming はこの標本をハールレムのTeylers Museumに300ギルダーで売却した。1847年までにフォン・マイヤーはRhamphorhynchus を亜属から属に昇格させ、その属にはその当時知られていた長尾型Pterodactylus の2種、すなわちR. longicaudus(最初に長い尾を持っているのが確認された種)と R. gemmingi の両方が含まれていた。Rhamphorhynchus 属の模式種はR. longicaudus であり、その模式標本もTeylers Museumに売却され、TM 6924という番号を付けられて現在もそこにある。 最初に名付けられた種であるPterodactylus muenster はまだプテロダクティルス属に入れられたままだったが、1861年のリチャード・オーウェンによる著作の中で再評価が行われ、その中でRhamphorhynchus münsteri として再命名された。ミュンスターとゴルトフスによって記載されたR. münsteri の模式標本は第2次世界大戦中に失われてしまった。本来の模式標本が失われる・またはあまりに保存状態が酷すぎると見なされる場合、もし入手可能ならば新しい標本または新模式標本が模式標本として指定される。ヴェルンホファーは1975年のこの属に関する論評の中で、元々の模式標本から作られた精密な鋳型模型が数多く博物館に使用可能な形で残されているため、新模式標本の指定に対して否定的な見解を示した。そのような模型はプラストタイプと呼ばれる。 1990年代までに、それ以前に名付けられた多くの名前をヴェルンホファーが整理し、ゾルンホーフェン石灰岩産ランフォリンクスにはおよそ5つの種が認められ、アフリカ・スペイン・イギリス産の部分的な化石に対して2-3種の名前が付けられていた。ゾルンホーフェン標本のほとんどはその相対的な大きさとサイズに依存する特徴(たとえば頭蓋骨の長さの比率)によって識別が可能である。 1995年、クリス・ベネットが当時認められていたドイツ産の種に関する広範な総論を出版した。ベネットは別々の種とされていた全てのドイツ産種は実際には単一の種R. muensteri の異なる年齢段階であり、小型の種は幼年個体で大型種は成熟個体、と成長の度合いを反映しているのだ、と結論した。ベネットの論文はアフリカ産やイギリス産の種を考慮に入れていないが、ベネットはそれらの種はランフォリンクス属そのものとする必要はなく、あくまでランフォリンクス科 (Rhamphorhynchidae) の構成種であると考えるべきだとしている。属の構成種は1種にまで減少したが、模式種はR. longicaudus のままである。 下記のランフォリクス科の系統樹はAndres & Myers (2013) の系統分析の結果に従っている。 Breviquartossa Rhamphorhynchidae Scaphognathus crassirostris Rhamphorhynchinae Dorygnathus banthensis Cacibupteryx caribensis Nesodactylus hesperius Rhamphorhynchus muensteri Harpactognathus gentryii Angustinaripterus longicephalus Sericipterus wucaiwanensis
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歴史と分類
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1932年、グリーンランド東部にあるデボン紀後期の地層から発見されたイクチオステガの四つの種と Ichthyostegopsis 属の I. wimani がスウェーデンの古生物・地質学者グンナル・セヴェセダーベリ(英語版)によって記載された。これらは頭骨の大きさ、点、骨のパターンについて違いがあるものの、形態学上のはっきりとした違いは見られないためにシノニムとすることができる( I. stensioei のみが残った)。これらの比較は1931年にデンマークの探検隊がグリーンランド東部で発見した14点の標本について行われ、1933年から1955年の間にも標本が追加された。
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