株式会社 総通
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1961年5月にペン習字の通信教育を展開する目的で創業。 1972年までの社名は「東洋ペン字学会」で、創業後にはペン習字以外の通信教育の講座も開講していた。同年、社名を「総合通信教育センター」に変更するとともに、ヒット曲のレコードやカセットテープを扱う通信販売事業会社として「フェーマスレコードクラブ」を創設した(後の「日本直販レコードクラブ」)。 1975年には雑誌広告による通信販売事業会社の「日本メールサービス」を設立。1977年には「日本直販」を創設すると共に、同社の名義でラジオ・テレビでの通信販売事業に進出した。通信販売事業進出当時の日本直販のライバルは日本文化センター(1975年設立)と二光(1976年通信販売業務の全国展開を開始)であり、この2社と日本直販との大手通信販売事業者の老舗3大会社が1970年代後半からバブル景気の崩壊する1990年代前半までしのぎを削っていた。 1985年に社名を「日本直販」から「総通」に改称する。 1992年には大阪市中央区に本社ビルを建設した。「総通」は、前社名の「総合通信教育センター」(そうごうつうしんきょういくセンター)の略称でもあったため、「通」には通信教育の意味も込めている。 新聞では、毎日新聞に毎日広告を掲載していた他、他の全国紙でも、月に数日のペースで広告を掲載していた。また、近年は雑誌広告による通信販売事業の名義を「日本直販」へ統一する傍ら、公式サイト上でも通信販売事業を展開していた。ただし、2012年12月までJFN系列で放送されていた『FM Radio Shopping』(FMラジオ局の広告枠を買い取る形式で放送している「日本直販」のラジオショッピング番組)では放送上「総通」の名義を使用していた。 テレビショッピングのCMでは、長年にわたって男女1名ずつのコンビで商品を紹介。「日本直販テレビ・ショップ」をCMの最初に、CMの最後に「(お電話)お待ちしています」と歌った女声のコーラスを最後に挿入していた。1970年代後半から1990年代中半は左登村信介、久保田ひろみ、川野太郎、1990年代後半以降は、コーラスを流さない一方で、やのぱん・高橋知裕(本社のある関西地方を中心に活動する松竹芸能所属のタレント)が実演を交えながら商品を紹介するバージョンを多く放送していた。 1980年代以降は、「日本直販」名義での通信販売から「高枝切りばさみ」「スーパーはぼき」などのヒット商品を輩出。1995年9月期には年間売上高として約525億円を計上していた。 しかし、バブル崩壊以降はそれによる消費の低迷や、Amazon.co.jpなどの日本国外資本の参入やインターネット専門の通信販売業者の出現、新興勢力のジャパネットたかたの台頭など、日本国内の通信販売事業をめぐる競争が激化。その影響などから、2011年9月期の売上高は最盛期の半分程度(約256億円)にまで落ち込んだ。また、これらの影響は他の通信販売事業者にも及び、ライバルである日本文化センターも大きく売上を落とした他、もう1つのライバルであった二光は2008年に通信販売事業から撤退し、人材派遣事業に専念することになった。 そして、2012年11月9日に大阪地方裁判所へ民事再生法の適用を申請。これを受けて、同裁判所では同月16日に民事再生手続きの開始を決定した。負債総額は約175億円。また、申請を機に、業務請負業のトランスコスモスとの間で再建支援に関する基本合意書を締結した。 総通を巡っては、民事再生法の適用開始後に、少なくとも10年前から粉飾決算を続けられてきた疑いが一部報道などで指摘されたが、「日本直販」名義の通信販売事業では、民事再生法の適用申請後も、商品の受注・発送業務を継続していた。 総通では、2013年3月中旬を目途に、再生計画案を同裁判所へ提出する方針を打ち出した。大阪市中央区内久宝寺町二丁目2番1号にあった自社ビルは、2014年3月20日に積水ハウスへ売却された。旧本社の建物は解体され、跡地には38階建てのタワーマンションが建設される。 総通自体も、事業譲渡後は本社を大阪市中央区内久宝寺町から大阪市中央区北浜3丁目へ移転し、2017年7月13日に法人格が消滅した。
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