栗栖良依とオリンピック
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幼少期から世界平和に貢献する活動に関心を持ち、高校生の時に見たリレハンメルオリンピックの開会式に感銘を受け平和の祭典であり総合芸術でもある、オリンピックの開会式に携わりたいと東京造形大学に進学。在学中から大手イベント会社に所属し、スポーツの国際大会や各種文化イベントで運営や舞台制作の実務を学ぶ 1998年の長野オリンピックでは選手村内の式典交流班として運営に携わる 2009年には大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレにて市民参加型エンターテイメント作品の制作に参加するも、2010年3月右膝に悪性繊維性組織球腫という癌が発症し、再発と転移の確率が高かったためオリンピックの開会式を演出するという夢を捨て生きることに集中する 2011年、リハビリをしながら少しずつ活動を再開し始めた時に横浜市にある象の鼻テラスを運営するスパイラル/株式会社ワコールアートセンターの松田朋春氏から声がかかり、横浜ランデヴープロジェクトのディレクターに就任。ここから障害者施設や企業と国内外で活躍するアーティストとの新たな接点が生まれる GRAEAE THEATRE COMPANY 芸術監督兼CEOのジェニー・シーレイ が演出した2012年ロンドンパラリンピックの開会式が素晴らしく『オリンピックより面白い!』と感じ『パラリンピックの開会式をやりたい』と宣言し夢を上書きした。のちに彼女を日本に招いたワークショップも開催している 2013年9月7日 国際オリンピック委員会(IOC)は2020年の東京オリンピック・パラリンピック開催を決定 2014年の国際展ヨコハマ・パラトリエンナーレを立ち上げ総合ディレクターに就任したが、そこで障害を持つアーティストの問題点を感じ、2015年からはSLOW MOVEMENTとして障害のある人もない人も参加してひとつの表現を創作するパフォーマンスプロジェクトを実施。SLOW MOVEMENTでは、パフォーマンス制作と並行して、障害のある人が舞台にあがるための障壁を解消するため、アカンパニスト(伴奏者)とアクセスコーディネーターの育成に取り組む。その実績が評価されて2016年のリオデジャネイロ パラリンピックの旗引き継ぎ式ではステージアドバイザーを勤めることとなる 2017年 東京オリンピック・パラリンピック競技大会(東京2020大会)開会式・閉会式4式典総合プランニングチームメンバーに選出 2020年12月23日 東京2020大会組織委員会は開閉会式企画・演出チームの新体制発表会見を行い、野村萬斎率いる7人のチームを解散し、パラリンピックの演出統括だったクリエイテイブディレクター佐々木宏を新体制の総合統括に任命したことを発表。山崎貴、MIKIKO、椎名林檎、川村元気、栗栖良依は22日付で活動を終えたが、チームが解散された後もひとり残留し、翌年のオリンピック開閉会式ではD&I チーフプロデューサーとしてコメンタリーガイドの監修を、パラリンピック開閉会式ではステージアドバイザーを務めた東京2020パラリンピック開閉会式では、オーディションでキャストを選出することにこだわり、スローレーベルで育てた12名のアカンパニストと10名のアクセスコーディネーターを投入することで、重度障害者であったとしても障害が理由で舞台に立つことを諦めなくてすむ安全な環境をつくりあげた 2022年新豊洲Brilliaランニングスタジアム報告会にて東京オリンピック・パラリンピックで培った経験や人材を活かすためにも『SLOW 2030 VISION』として『東京パラリンピック開会式で見せた多様性あふれる景色を今度は2030年札幌冬季オリンピックの開会式で実現する事を目指す』と宣言した。
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