栗栖野氷室
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/02 14:35 UTC 版)
「氷室 (京都市北区西賀茂)」の記事における「栗栖野氷室」の解説
西賀茂群氷室状大型穴一覧表 上部径底部径深さ1 6.8×6.0m 3.5×2.8m 2.6m 2 6.5×6.0m 3.0m 2.2m 3 7.5×6.5m 3.0m 2.0m 三か所の窪地、その周辺に製氷に利用された五か所の氷池、そしてそれらの守護を目的に設置された氷室神社が残存している。 五か所の氷池に氷が張ると、さらに水をかけて厚い氷を作り、それを切り出して貯蔵した。雪を踏み固めて作ったとの言い伝えも残る。『日本書紀』仁徳62年条にみえる記載や、これまでの発掘調査などから、直径5-8m、深さ2-3mのやや楕円形の窪地の底に杉の木の枝葉を敷き詰め、板を張って氷を載せ、木の枝葉や葦、萱で覆って貯蔵したものとされる。 旧暦6月15日に当地から禁中まで、行列を仕立てて献上されるのが習わしで、平安時代から東京奠都に至るまで続いていたと伝えられる。氷を葦、萱で覆って馬で運んだ、あるいは天秤棒に杉の葉で包んだ氷を担いで運んだという。 しかし一方で、氷室の名称が列挙された1101年(康和3年)および1266年(文永3年)の『主水司注進状』に、栗栖野氷室の名前が見当たらず、1684年(貞享元年)『雍州府志』、『都名所図会拾遺』の資料などからも、栗栖野氷室が12世紀に一旦は途絶え、その後再開したとする説もある。 明治時代に入り、実業家山田啓助が京都市で製氷業を営んだ初期には、この氷池で作った氷を用いていたと伝えられる。
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