氷室の設置
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/02 14:35 UTC 版)
「氷室 (京都市北区西賀茂)」の記事における「氷室の設置」の解説
藤原京の時期には大和国の都介(つげ)氷室が開発され、禁裏へ氷が運ばれていたという。平城京への遷都後もなお、都介氷室から運ばれ続けた。しかし、平安京からはあまりにも遠く離れている。『日本紀略』天長8年条によると 山城河内両国各加置氷室三宇。供御闕乏也。 とあり、平安京への遷都に際して、当地を含め近隣の複数個所に氷室を新設し、そこから氷を運ばせたという。当地の氷室は、『延喜式』に記載された栗栖野氷室(くるすのひむろ、西賀茂氷室町)および土坂氷室(長坂の表記誤りとされる、西賀茂西氷室町)にあたる。 禁裏の生活に不可欠な氷を作り出す氷室は、主水司により管理された。特に平安時代末期に清原頼業が主水正に任じられてからは、明経道清原氏がその地位と栗栖野・土坂(長坂)両氷室に関する所領を代々世襲し、保護に努めてきた。
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