東港線バイパス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/21 00:58 UTC 版)
また紡績角交差点から長者町交差点を経て万国橋交差点に至る区間には、連続立体交差方式によるバイパス道路も設けられている。概要に記した通り東港線の支線として建設されたもので、東港線バイパスとも呼ばれる。 この区間はは2車線ずつの高架橋2本から成るが、4車線とも長者町から万国橋への一方通行となっている。また各2車線は終端部で降り口が異なっており、左側2車線が沼垂・栗ノ木バイパス方面の車線、右側2車線が佐渡汽船・柳都大橋・上所方面の車線となっている。高架橋のほとんどの区間は左側車線・右側車線とも1車線規制となっており、左側車線は竜が島一丁目・沼垂東五丁目交差点でランプウェイを降りた後、沼垂方面への市道と平面交差し、更に直進すると万国橋で東港線に再合流(直進)するか、もしくは栗ノ木バイパスへ左折する車線となる。一方の右側車線は万国橋まで直通し、ランプウェイを降りた後、東港線に再合流する車線(直進のみ)となる。 このバイパスが設けられた経緯には、かつて信越本線の沼垂駅(貨物駅)から新潟西港の中央埠頭に通じていた引込線(現中央埠頭前交差点付近)の踏切渋滞が慢性化していたことが背景にある。1965年2月13日、道路上に踏切信号が設置されて渋滞はやや緩和したものの、その後の急速なモータリゼーションの進行や郊外の宅地化などで交通量は増大し、特に朝の通勤時間帯のラッシュによる渋滞が深刻化したため、新潟県が渋滞緩和の抜本対策として建設に着手し、1974年4月に現区間の供用が開始された。 バイパスの建設当時、新潟市では萬代橋の下流部に有料道路「みなと大橋」の建設が計画されており、それに合わせて東港線と栗ノ木バイパスも一部区間を嵩上式に改良する予定であった。東港線バイパスはこれら各方面の道路との接続に対応するため、万国橋以西への延伸を見込んで開通区間以東の高架橋は未成のままとされた。しかしオイルショック等の影響を受け、更に1976年には市長が交代したことも影響して、みなと大橋の建設計画は事実上凍結された。その後25年を経て2002年にこの構想は柳都大橋として実現したものの、東港線バイパスの万国橋以西の区間については2018年現在も未成となっており、開通以来40年以上に亘って高架橋は万国橋交差点の東方、新潟市万代ポンプ場の近傍 で途切れたままになっている(みなと大橋の建設凍結に関する経緯は「柳都大橋#「みなと大橋」建設構想」を参照)。 なお柳都大橋、東港線の万国橋交差点 - 宮浦中学校前交差点間と栗ノ木バイパスは、新潟市の都市計画道路「万代島ルート線」ならびに地域高規格道路「新潟南北道路」の整備区間に指定されており、このうち栗ノ木バイパスの南側区間では一部連続立体交差化を目的とした「栗ノ木道路」「紫竹山道路」の2つの事業が行われている(詳細は栗ノ木バイパスを参照)。万代島ルート線は柳都大橋以東の区間が一部連続立体交差方式(平面拡幅高架併用型)で設計されており、現在事業未着手の東港線及び栗ノ木バイパスの北側区間も将来的には連続立体交差化され、その際には東港線バイパスも万国橋で接続することになる。しかし、環境悪化を懸念する地元・沼垂地区の住民が道路の高架化に反対する旨を唱えており、実現にはまだ時間を要す見込みである。 東港線バイパス 入口。別々のランプウェイに接続する。 2組の高架橋から成る東港線バイパス。
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