来歴〜ジュニア時代
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歯科医師の父親と、母親の芙紗子の間に3人姉妹の長女として生まれた。生まれた日の1975年7月5日は、沢松和子が1975年ウィンブルドンの女子ダブルスで日本人初優勝を達成した日でもあった。愛が生後4か月ごろになると、愛の父方の祖父が静岡県の天城湯ケ島町(現在の伊豆市)で経営する歯科医院を手伝うため一家は三島市に移住。愛が5歳になると、今度は父が歯科医院を開業することになり一家は神奈川県茅ヶ崎市に居を構え、愛は茅ヶ崎で少女時代を過ごした。この頃から母芙紗子は娘のために体操、フィギュアスケート、クラシックバレエなどの様々なレッスンを習わせるようになったが、その後愛がさらにテニススクールにも通うようになるとそれまでの習い事とは明らかに違う入れ込みを見せるようになる。その熱中ぶりは当初週2回で始まったレッスンもすぐに2つのスクールを掛け持ちするようになり、レッスンが無い日でも一人で壁打ちを続けるほどであった。愛が小学2年生になると、茅ヶ崎市からほど近い藤沢市に米国の名門テニススクールとして名高いニック・ボロテリー・テニスアカデミーの藤沢校が開校する。同年にこのアカデミーの入校試験に合格し、選手コースの一員となると、以降ピアノ以外の習い事を全て辞め、本格的にテニスに取り組むようになる。 引き続きニック・ボロテリー・テニスアカデミー藤沢校、荏原SSCなどで本格的にテニスを学びながら頭角を現していった杉山は、湘南白百合学園中学校入学後の中学1年時に全国選抜ジュニアテニス大会14歳以下で全国大会レベル初優勝を果たすと、1990年には15歳で全日本ジュニア18歳以下シングルス準優勝を果たす。これらの活躍により同年の全日本テニス選手権に主催者推薦で出場すると4回戦まで進出した。その後テニスを優先するためにあらゆる面で支障が多かった湘南白百合学園高等学校への進学を諦め、湘南工科大学附属高等学校体育コースに入学。ここでは1年時に早くも高校総体シングルス決勝で、同じ湘南工科大附属の同級生だった吉田友佳を下し優勝した他、ITFジュニアサーキットも本格的に転戦するようになり、1991年全豪オープン、1991年全米オープン、1992年ウィンブルドン選手権でそれぞれシングルスベスト8進出の成績を収め、1991年5月には日本人選手として男女通じて初のITFジュニア世界ランキング1位を記録する など、早くから国際的に名の知られたトップジュニアの一人となっていた。 また杉山はジュニア時代からツアーレベルの大会にも参戦しており、1990年9月のニチレイ・レディースではダブルスで道城まみと組み主催者推薦でツアー初出場。1回戦でエミー・フレージャー&小泉幸枝(日本)組に1-6, 2-6のストレートで敗れている。翌1991年には全豪オープンシングルス予選で早くもグランドスラムに挑戦したが、この時は予選1回戦で試合前に棄権している。4月にはジャパン・オープンでツアーシングルス予選に初出場したが、1回戦でヤユク・バスキに7-5, 2-6, 4-6のフルセットで敗れている。1992年はミズノ・ワールド・レディースで予選を勝ち上がりツアーシングルス本戦初出場を果たすと、1回戦でも雉子牟田直子を1-6, 6-2, 7-5のフルセットで下しツアー初勝利を手にする。続く2回戦では第4シードの伊達公子とに挑戦したが、1-6, 7-5, 3-6のフルセットで敗れた。同年10月に17歳3か月でプロに転向した。11月28日に大磯プリンスホテルで行われたプロ入り記者会見では「トップ10プレーヤーになれるよう頑張ります!」と、11年後に達成ることになる大きな目標を掲げての出発であった。この年のWTAシングルス年度末ランキングでは180位で終了しており、全日本女子シングルス年間ランキングでも10位につけるなど、既に日本トップ選手の一人となっていた。 しかし学生生活の方はテニスでの活躍と反比例する形で上手く回らなくなり、湘南工科大学附属高校を2年生のときに中退している。これは同校が当初の想定より思いのほか出欠に厳しく、加えて出場機会が増していたプロの試合では公欠が認められなかった他、世界ツアー転戦のための費用捻出の必要性からプロ転向によるスポンサー契約の獲得を望んでいた杉山側に対し、湘南工科大付属側はあくまで所属を高校名にすることを求め、在学中のプロ転向を許可しなかったことから辞めざるを得ない状況に陥ってしまったことが原因であった。その後杉山は神奈川県立湘南高等学校通信教育課程に編入学。杉山はツアーの合間を縫いながら勉学にも励み2年で同校を卒業している。
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