本州の北のターミナル・青森県
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/05 16:22 UTC 版)
「東北地方の経済史」の記事における「本州の北のターミナル・青森県」の解説
青森県は、本州と北海道を結ぶ本州側の北のターミナルであり、青森市の青森港(⇔函館港)、および、八戸市の八戸港(⇔苫小牧港)が、その接続先の違いや立地により、機能分担が進んでいる。青森港は道南とのトラック+フェリー流通と旅客輸送、八戸港は札幌経済圏とのトラック+フェリー流通や他地域とのコンテナ流通が中心である。 青森市は、1871年(明治4年)に青森県の県庁所在地となった後、1873年北海道開拓使の手により青函航路に汽船による定期航路が開かれた。明治以降は、鉄道の開業にともない、北海道と本州を結ぶ交通の要衝として、諸産業が発達した。1988年、青函トンネルの開通によって青函連絡船が廃止されたが、トラック流通時代に対応した青函フェリーによって、本州(東北道)の北のターミナルとして、次の時代以降も流通拠点都市となっている。 八戸市は、青森県・南部地方の中心地としての機能の他に、八戸道の開通で海が無い盛岡市の外港機能の一部を担うようになり、また、苫小牧港(札幌経済圏の南の玄関口)とのフェリー航路によって、本州北端のターミナル機能が強化され、流通拠点・工業都市となっていった。現在は、青森県のコンテナ流通における首位港ともなっている。人の移動においては、東北新幹線が八戸まで延伸したことで、東京との人の交流が三沢空港から東北新幹線に主軸が移行し、さらに、盛岡市・仙台市などの東北新幹線沿いの他都市との交流も活発化した。また、世界三大漁場の三陸沖の漁獲が多く集まる都市(八戸・宮古・気仙沼・石巻・仙台)の中で、唯一漁港と新幹線駅の双方を持ったため、「食」観光と十和田湖・奥入瀬渓流観光の玄関口としての機能が結びつき、八戸市の観光客入込数は、新幹線開業前の1.5倍程度へ増加した 。 北海道の人口および経済力が九州地方の4割程度であり、かつ、津軽海峡を自動車が自走して渡ることができないため、青森県は山口県ほどの大きなターミナル効果を得てはいないが、本州の北のターミナルとして、東北地方では、宮城県・福島県に次いで3番目に都市化が進んだ県となっている(→ 東北地方#地理)。以下に、本州の北と南の結節点にある地方の人口概数、およびほぼ同格のヨーロッパ諸国を示す。 東北地方(980万人。ベルギー) ⇔ 北海道(560万人。デンマーク) 中国地方(770万人。オーストリア)⇔ 九州地方(1500万人。オランダ) フェリー (2004年度。1日平均旅客数。1日平均流通量) 青森港 : 1978人/日。トラック 728台/日、バス 4.4台/日、車 387台/日 八戸港 : 941人/日。トラック 413台/日、バス 2.3台/日、車 166台/日 仙台港 : 650人/日。トラック 236台/日、バス 1.4台/日、車 274台/日 秋田港 : 217人/日。トラック 64台/日、バス 0.8台/日、車 70台/日 北海道の玄関口の変遷 江戸時代: 海上交通:松前、江差 ←日本海ルート優勢 陸上交通:(松前街道)~三厩~松前(松前氏の参勤交代路) 幕末~明治初期:函館(箱館) ←日本海ルート優勢 明治後期~戦後:小樽(札幌の外港) ← 日本海ルート優勢 昭和初期~高度経済成長期:室蘭・苫小牧・釧路(工業港) ←太平洋ルート優勢 高度経済成長期以降:苫小牧(札幌の外港) ←太平洋ルート優勢その他:青函トンネル経由。新千歳空港経由。
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