本州のアカエゾマツ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/15 00:24 UTC 版)
もともと、アカエゾマツは北海道の道南以北だけにみられ、本州以南には分布していないと考えられていた。ところが1960(昭和35)年に岩手県宮古市の早池峰山の蛇紋岩地帯で96本のアカエゾマツからなる群落が発見された。 この蛇紋岩地帯は約2万年前の最終氷期に形成された蛇紋岩が斜面上に取り残されたもので、しばしば土石流の原因になっていた。1960年のアカエゾマツ発見も、アイオン台風(1948年)による土石流被害の調査の過程で見つかったものである。この群落は標高980mから1180m付近にかけての「アイオン沢」と呼ばれる東西200m、南北600mの斜面地に限定されていて、これはたまたまそこだけ土石流の被害を免れたことで残存していたものだった。 かつての最終氷期の東北地方では、アカエゾマツは最も繁栄している植物種の一つであり、早池峰山のアカエゾマツはその稀少な生き残りと考えられている。その学術的稀少価値が認められ、1975年に「早池峰山のアカエゾマツ自生南限地」として国の天然記念物に指定された。 1960年の発見当初、土石流を免れたアカエゾマツは96本で、しかも群落の辺縁部から枯損が進行し、消滅が危惧された。しかし1970年代には枯損がとまり、土石流跡地に新たなアカエゾマツが育っており、2000年代には総数は143本にまで増え、太いものでは直径20cmを超えるものも60本以上確認されている。小木も含めた総個体数は3500本となって、短期的には消滅の危機は脱したと考えられている。本来、自然にコメツガやヒバなどに遷移するはずのものが、定期的に発生する土石流によってコメツガやヒバが倒されてアカエゾマツが生えることで群落が維持されてきたと推測されている。
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