本州 - 淡路島航路とは? わかりやすく解説

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本州 - 淡路島航路

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 06:19 UTC 版)

淡路フェリーボート」の記事における「本州 - 淡路島航路」の解説

1963年昭和38年7月4日に、淡路浦港 - 神戸長田航路運航開始就航当時330トン360トン級の船舶であった1968年昭和43年7月に、船舶大型化1100トン級)に伴い大磯港 - 須磨港での運航となる。 24時間運航行っていた当初から、須磨周辺は、住宅地のすぐ側をフェリー利用車が頻繁に通行する地域で、夜間は特に大型トラック通行多く居住民が騒音被害訴えようになった。そのために、しばらく後に対応策として、深夜便は六甲アイランドから発着するようになり、その後ハーバーランド高浜岸壁移転した短距離航路であることと須磨港が阪神高速3号神戸線若宮出入口近接していることで、主に京阪神方面への接続には便利であった。 車なしでも乗船が可能であることで、阪神間(または淡路島方面)への通勤・通学の足になり、旅客面でも賑わった。深夜帯行き来にも便利であった四国方面への中長距離バスも、この航路利用していた。 大型船乗船基本的に大型車1階、人・普通車2階閑散帯には車両1階から搭載するであったため、運航時でも客席から車に戻ることが可能。 多客時には増発頻繁に行われた(ただし、帰省ラッシュ時には5、6時間待ちといった状況もしばしばあった)。 各港の駐車スペース十分に確保されており、多客時に道路待たされることが少ない(しかしながら盆・正月帰省ラッシュ時は、須磨港での乗船待ちの車が、長田区まで延びていたこともあった)。 1995年平成7年)の阪神・淡路大震災では、須磨港の着岸バース車両スロープ潮の干満調整油圧昇降装置、等)が被害を受け、全便高浜岸壁からの発着になったほか、鉄道阪神高速道路不通続いたため、利用者激減し間引き運航減便)を余儀なくされた。これにより、運送業界は運行ルート大幅変更余儀なくされ、淡路四国拠点大鳴門橋ルートへとよりシフトしていった。 1998年平成10年4月5日明石海峡大橋開通迎え架橋開通同時に航路廃止方針通り同日18時に両港の同時離岸最終便とし、35年間の役目終えた

※この「本州 - 淡路島航路」の解説は、「淡路フェリーボート」の解説の一部です。
「本州 - 淡路島航路」を含む「淡路フェリーボート」の記事については、「淡路フェリーボート」の概要を参照ください。

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