最初の長編小説『上海』とは? わかりやすく解説

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最初の長編小説『上海』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/17 02:00 UTC 版)

横光利一」の記事における「最初の長編小説『上海』」の解説

芥川龍之介最晩年に、「君は上海見ておかねばいけない」と言われ1928年4月から約1か月間、上海滞在する芥川1925年11月改造社から『支那游記』を発表していた。大正末期から昭和初期この頃芥川龍之介をはじめ、吉行エイスケ村松梢風金子光晴などが上海訪れている。また内山完造経営していた内山書店には魯迅をはじめ、中国日本の文学者が多く集まっていた。また内山完造交遊関係のあった改造社社長山本実彦横光渡航期待していた 滞在中、横光は妻・千代へ「支那人汚さと云つたらない美しいのは、道路だけだ」と伝えたまた、案内され音楽会ダンスホールに集まる西洋人は、「下劣な」に見えたという。この上海で感じた数々不条理混沌が、西洋列強支配される身近なアジア、「自分の住む惨めな東洋」を強く意識させ、横光民族意識目覚めた長編上海』はこの“落差”と“汚さ”のショックから構想された。 改造社横光に「上海紀行」を依頼したが、横光紀行でなく長編小説願い出た改造社社長山本実彦宛書簡で「紀行書いてしまいます材料盛り上がって来ませんし、たいていの人がそれで失敗しています」と書いている。横光当初「ある唯物論者と書名を想定していたがのちに「上海」と変更する最初長編小説執筆し始める。連作長編の形で執筆されたこの作品は、内容的に1925年五・三〇事件背景に、上海における列強ブルジョアジー中国共産党押し寄せるロシア革命の波と各国愛国主義といった諸勢力闘争描いた野心作であると同時に形式的に新感覚派文学集大成であり、新心理主義への傾倒兆しみられる問題作であった。『上海』は第一篇風呂銀行」を1928年昭和3年)から書き始め1931年昭和6年)にかけて『改造』に断続的に発表されたが、内務省検閲意識して改造社自主規制し、多く伏字見られた。伏字となったのは、「(一団新しい敵群)は…(破壊)する」「(日本人)を潰せ」といったストライキによる破壊行為描写などであった1928年11月世田谷区北沢2丁目145番地新居立て犬養健が「山房」と名付けた。同11月、「その国にはその国の文学がある以上、その国の形式論独特な長所持って現れなければ文学発展しない日本の文学象形文字使用するとすれば殊に、独特の形式論発生すべき筈である」と書いた。1929年にも「聴覚より視覚根本とした日本独特の形式論」とも書いている。 1928年11月、『新選 横光利一集』を改造社から刊行

※この「最初の長編小説『上海』」の解説は、「横光利一」の解説の一部です。
「最初の長編小説『上海』」を含む「横光利一」の記事については、「横光利一」の概要を参照ください。

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