最初の隠棲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/21 16:56 UTC 版)
マックス・ジャコブは、カトリックの洗礼を受けてから2度、サン=ブノワ=シュル=ロワール(ロワレ県、サントル=ヴァル・ド・ロワール地域圏)に隠棲した。パリから南へ150キロほどのところにある同地にはサン=ブノワ=シュル=ロワール修道院(フランス語版)(フルリ修道院)があり、彼はここで祈りと制作に専念する生活を送った。最初の隠棲は1921年から1928年まで、2度目は1936年からゲシュタポに逮捕される1944年までである。隠棲中もカーンワーラー、コクトー、ピカソ、キスリング、サルモン、さらにロラン=マニュエル、ミシェル・レリス、アルマン・サラクルー、マルセル・ジュアンドー(フランス語版)、ルネ・ランベール(フランス語版)、エリー・ラスコー(フランス語版)らにおびただしい数の手紙を書いた。 1925年の聖年にローマを訪れ、イタリアを旅行。ブルターニュの友人で(アルベール・カミュの師として知られる)作家のジャン・グルニエ(フランス語版) に再会した。この機に再びスペインを旅行し、マドリードのプラド美術館、次いでトレド大聖堂を訪れた。グルニエ宛の手紙でプラド美術館を「各画家の名画があって世界で最も美しい美術館」と称え、トレド大聖堂でエル・グレコの絵画に出会った感動を伝える一方、マックス・ジャコブはかつてピカソとスペインを訪れたときとは逆に、スペインの風土や人々にはある種の失望を表わしている。 グルニエとはこれ以後頻繁に会い、彼を介してサン=ブリユー(ブルターニュ地域圏、コート=ダルモール県)で知り合った同地出身のルイ・ギユー(フランス語版)を「本物の」小説家と称え、また、同じブルターニュのプロアレで同地の画家ジャン・コル(Jean Colle)に出会い、以後、生涯にわたって親交を深めるなど、とりわけ、ブルターニュ出身の作家・画家とのつながりが広がった。1898年からブルターニュに隠棲していたサン=ポル=ルーと頻繁に手紙のやり取りをし、彼にブルターニュを歌った『ゲール人モルヴァンの詩集』を絶賛されたのもこの頃である。
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