最初の長編と最初の成功
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/02 05:45 UTC 版)
「ピエール・ブノア」の記事における「最初の長編と最初の成功」の解説
ブノアは戦前には新ロマン主義の一詩人に過ぎなかったが、戦後では世界的な流行作家となった。1918年の『ケエニクスマルク』"Kœnigsmark"は顕著な成功を修め、アンドレ・シュアレス(André Suarès)やレオン・ドーデ(Léon Daudet)の支持を得てゴンクール賞の候補作にもなったが受賞は逃した。翌1919年、仏領北アフリカを舞台にした秘境冒険小説『アトランティード』"L'Atlantide"を刊行。瞬く間にベストセラーとなった。1936年、カトリシズム作家のルイ・シェーニュ(Louis Chaigne)は、本作に対する大衆の熱狂を分析して以下のように述べている。 「 『アトランティード』は平穏な日々の記憶に基づいており、悪夢のような年月…すなわち泥濘にまみれ、砲弾に怯えた年月…を忘れさせてくれる機能のために、まさしく待ち望まれていた本なのである。 」 — モーリス・バレスの積極的な支持を得て、この本は1919年度アカデミー・フランセーズ賞を受賞した。 1920年から死(62年)まで、ピエール・ブノアは毎年ほぼ一冊の小説を書き、累計40冊をアルバン・ミシェル社(Éditions Albin Michel)から刊行した。これは冒険小説の王と呼ぶに相応しい業績であるが、彼は恋愛小説の分野を軽視したわけではなく、"Mademoiselle de la Ferté"(1923) は「他の作品と比べ、より文学的でより深みがある」ためにブノアの代表作の一つに数えられている。
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