旧江戸城写真帖とは? わかりやすく解説

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旧江戸城写真帖(六十四枚)

主名称: 旧江戸城写真帖(六十
指定番号 103
枝番 0
指定年月日 2000.06.27(平成12.06.27)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 歴史資料
ト書 明治四年蜷川式胤伺書控及び写真師横山松三郎彩色高橋由一の記がある
員数 1冊
時代区分 明治
年代 明治4年(1871)
検索年代 1871
解説文: 太政官少史蜷川式胤にながわのりたね】(一八三五-八二年)が写真師横山松三郎よこやままつさぶろう】と絵師高橋由一たかはしゆいち】の協力得て明治四年(一八七一)に作製した江戸城記録写真集である。
 撮影技法湿式コロジオン法で、この方法はダゲレオタイプカロタイプなどの初期技法比べて感光能力優れ取り扱い簡便であった印画紙鶏卵紙けいらんし】を用い画像鮮明保存性もよいので当時写真家たちによって広く用いられた。この写真帖でも第三一図「本丸重箱櫓中ノ渡門図」の左端下方型押しされた「No68BFKRives」によってフランス製の鶏卵紙用いていることが知られる
 現状は、厚い台紙二枚を横に貼りつないで四頁の独立した丁とし、全部一六丁、六四頁を重ねる。そして各頁に一枚ずつ四つ切り判の焼付写真貼る。さらにこの三二になる台紙をくるむようにクロス張り表紙をつけ、アルバム様の体裁のものにする。写真には、蜷川の筆により第一図から第六四図まで墨のペン書き順番記入されており(城内中心部から周辺の各見附【みつけ】に向かって主要な地点網羅)、主要な建物場所について同筆画面上に注記され、全写真には高橋由一により淡彩施されている。また「東京之図」「東京城図」の地図二枚は、見返し表と裏糊付けされており、後者には「明治四年辛未写生之 蜷川式胤」の款記と「宮道蜷川旧姓)式胤」の単廓方印が捺されている。
 撮影に至る趣意見返し付され蜷川太政官への伺書控によって知られ、「破壊ニ不相至内、写真ニテ其ノ形況ヲ留置」ことは「後世ニ至リ亦博覧一種」になるという。さらに蜷川横山高橋らは、翌明治五年に奈良京都古社寺正倉院宝物調査壬申検査)を行い多数記録写真残した
 このことは写真帖製作を通じて写真による記録保存方法文化財保護に対して有効であることが証左されたといえる
 つまり本写真帖の製作は、当初から対象文化財として認識されており、その記録写真いち早く採り入れたことで、わが国写真史上に価値が高いだけでなく、近代文化財保護原点ともいえる点で貴重である。



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