旧江戸城写真ガラス原板
主名称: | 旧江戸城写真ガラス原板 |
指定番号: | 111 |
枝番: | 0 |
指定年月日: | 2001.06.22(平成13.06.22) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 歴史資料 |
ト書: | |
員数: | 29枚 |
時代区分: | 明治 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 本件は、平成十二年六月二十七日付で重要文化財に指定された「旧江戸城写真帖」(東京国立博物館保管・歴第一〇三号)のガラス原板である。 この写真帖は、太政官少史【だじょうかんしょうし】・蜷川式胤【にながわのりたね】(一八三五-八二)が写真師・横山松三郎【よこやままつさぶろう】(一八三八-八四)と絵師・高橋由一【たかはしゆいち】(一八二八-九四)の協力を得て作製した旧江戸城の記録写真集六四枚で、唯一旧江戸城の詳細を伝えるものである。そして、今次指定されるガラス原板は、この「旧江戸城写真帖」の作成に際して撮影された原板であることが確認されたものである。 江戸東京博物館保管になるこのガラス原板のサイズはすべて四ツ切であり、全体が乳灰【にゅうかい】色で覆われ、一見すると被写体が何かを判定することは困難である。この乳灰色の画像は撮影がコロジオン湿板【しつばん】法によるものであることの証左である。そして、これを鶏卵紙【けいらんし】へ焼き付けることによって陽画像【ようがぞう】を得ることができる。 それぞれのガラス原板について、墨書【ぼくしょ】で「五十三」「十六」等とあるのは「旧江戸城写真帖」の貼り付け写真の番号である。そのほか墨書等のないものについても原板からの焼き付けと照合することによって双方の関連性が明らかになったが、二九枚のガラス原板のうち四枚については「旧江戸城写真帖」にはなく、明治十一年、蜷川自身がまとめた「観古図説【かんこずせつ】-城郭之部【じょうかくのぶ】」には確認される。このことは、「旧江戸城写真帖」の作成にあたっては、実際に製本された六四枚の他に相当数のガラス原板が存在したことを思量させる。 なお、このガラス原板の伝来としては、長く蜷川家のもとにあったものが、赤木コレクション(赤木清士氏)の手を経て、平成四年十二月に江戸東京博物館が購入したものである。 このように本件は、すでに指定された「旧江戸城写真帖」と一体の関連性を有するものであり、近代文化財保護の原点といえるのみならず、わが国の写真技術発達史上に貴重である。 |
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