旧佐藤家住宅(宮城県角田市高倉)
名称: | 旧佐藤家住宅(宮城県角田市高倉) |
ふりがな: | きゅうさとうけじゅうたく |
名称(棟): | |
名称(ふりがな): | |
番号: | 1815 |
種別1: | 近世以前/民家 |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
指定年月日: | 1971.08.13(昭和46.08.13) |
員数(数): | 1 |
員数(単位): | 棟 |
代表都道府県: | 宮城県 |
都道府県: | 宮城県角田市高倉字寺前50高蔵寺境内 |
所有者名: | 角田市 |
指定基準: | |
管理団体名: | |
管理団体住所: | |
管理団体指定年月日: | |
構造形式: | 桁行14.9m、梁間7.8m、寄棟造、茅葺 |
時代区分: | 江戸後期 |
年代: | 江戸後期 |
解説文: | 旧仙台藩領内にある中型農家で一八世紀中頃から後半頃の建設と推定される。建物は幅一六メートル、奥行一〇メートルの直屋で屋根は寄棟造、茅葺である。 間取りはいわゆる「三間取り広間型」で、これは当時の農家の基本的な間取りの一つである。 全体の約四割を占める土間には丸味のある太い柱が対になって六本立ち、古式で明快な梁組がみられる。 なお、この家は佐藤家の新築計画にともない、地元角田市が同氏より寄贈を受けた。 市内の適当な場所に移建し保護活用される予定である。 |
秋田県ゆとり生活創造センター昭和館(旧佐藤家住宅)主屋
名称: | 秋田県ゆとり生活創造センター昭和館(旧佐藤家住宅)主屋 |
ふりがな: | あきたけんゆとりせいかつそうぞうせんたーしょうわかん(きゅうさとうけじゅうたく)しゅおく |
登録番号: | 05 - 0090 |
員数(数): | 1 |
員数(単位): | 棟 |
構造: | 木造2階建、銅板葺、建築面積254㎡、正面玄関ポーチ付 |
時代区分: | 昭和前 |
年代: | 昭和10/平成13移築 |
代表都道府県: | 秋田県 |
所在地: | 秋田県秋田市上北手荒巻字堺切24-2 |
登録基準: | 造形の規範となっているもの |
備考(調査): | |
施工者: | |
解説文: | 大曲市内にあった邸宅を移築し,集会施設として再生。木造2階建で,長い廊下によって客間,居間など多数の部屋を繋ぐ。各室とも良材を用い瀟洒な数寄屋風意匠になり,凝った細工の建具を多用する。大小の破風を重ねた立ちの高い外観は通りに面し異彩を放つ。 |
秋田県ゆとり生活創造センター昭和館(旧佐藤家住宅)土蔵
名称: | 秋田県ゆとり生活創造センター昭和館(旧佐藤家住宅)土蔵 |
ふりがな: | あきたけんゆとりせいかつそうぞうせんたーしょうわかん(きゅうさとうけじゅうたく)どぞう |
登録番号: | 05 - 0091 |
員数(数): | 1 |
員数(単位): | 棟 |
構造: | 土蔵造2階建、鋼板葺、建築面積78㎡ |
時代区分: | 昭和前 |
年代: | 昭和10/平成13移築 |
代表都道府県: | 秋田県 |
所在地: | 秋田県秋田市上北手荒巻字堺切24-2 |
登録基準: | 造形の規範となっているもの |
備考(調査): | |
施工者: | |
解説文: | 主屋背後に建つ2階建の土蔵。大小2棟を桁行きに接続させ,屋根も一部落棟となるが,内部は1,2階とも開口部を設け連続する。良材を用い半間毎に柱,床梁を入れた堅牢なつくりで,漆喰塗で腰を簓子下見とする外部は,開口部回りや軒蛇腹を黒漆喰塗で飾る。 |
建築物: | 福田家住宅蔵及び番小屋 福田家住宅風呂及び便所 秋田県ゆとり生活創造センター昭和館 秋田県ゆとり生活創造センター昭和館 秋田県立農業科学館曲屋 稲岡家住宅主屋 稲岡家住宅離れ |
旧佐藤家住宅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/14 17:05 UTC 版)
旧佐藤家住宅 | |
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![]() 外観(2018年8月) | |
所在地 | 宮城県角田市高倉字寺前50 |
位置 | 北緯37度59分57.9秒 東経140度43分6秒 / 北緯37.999417度 東経140.71833度 |
旧所在地 | 宮城県角田市高倉字新町222 |
類型 | 農家 |
形式・構造 | 木造平屋建て、一重寄棟造、茅葺、平入、直屋 |
建築年 | 江戸時代中期 |
文化財 | 国の重要文化財 |
所在施設・区域 | 高蔵寺 |
旧佐藤家住宅(きゅうさとうけじゅうたく)は宮城県角田市高倉字寺前50番地にある江戸時代中期の民家。国の重要文化財に指定されている。
概要
木造平屋建ての直屋[1]で、出入り口は平入であり、屋根は寄棟造の茅葺である。広間型三間取り[2]の単純な間取りで、全体の約4割を土間が占めており、土間には6本の柱が立つ。これは江戸時代中期の農家の形式であり、建立の時期は18世紀中ごろから後半にかけてとみられている[3]。
その後、江戸時代末期に北側および東側の拡張と物置部屋の設置が行われた。明治時代初めに土間の一部が床張りになり、広間に間仕切りが設置された。しかし、軸部・小屋組には変更が無く、建立当初の形式を残していた。
1971年(昭和46年)6月13日、所有者である佐藤氏が角田市に寄贈し、同年8月13日、文化財保護法により国の重要文化財の指定を受けた[4]。1972年(昭和47年)12月31日に、高蔵寺の境内に移築され、建立当初の形式に復元された[3]。
利用情報
- 開館時間:9:00~17:00(予約不要)
- 公開日:年中無休
脚注
- ^ 「すごや」と読む。「曲り家」に対する用語で、床上部と土間が一つの棟に収容された、一般的な長方形平面の建物を指す。
- ^ 土間に面して生活の中心になる「広間」があり、その上手(土間と反対側)には表に座敷、裏に寝室を配する。日本民家の典型的な間取り。
- ^ a b 『重要文化財 旧佐藤家住宅修理工事報告書』 pp.3-4
- ^ “旧佐藤家住宅(宮城県角田市高倉)”. 国指定文化財等データベース. 文化庁. 2011年9月17日閲覧。
参考文献
関連項目
外部リンク
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