日本社会における混血
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/26 04:14 UTC 版)
日本では一般に「ハーフ(Hāfu)」と呼ばれる。「ハーフ」という呼称は、横浜で生まれ育った作家、北林透馬が1930年に発表した小説『街の國際娘』で初めて使用された。戦後、1960年代からは横浜以外の地域にも広まり始め、当時のザ・ゴールデン・カップスやその後1970年代に活躍した「ゴールデンハーフ」というハーフ女性のアイドルグループの名称から全国的に広まったとされる。そのため、初期は「ハーフ」といえば女性を指していると解する人もいた。また、主に日本籍者と外国籍者の子供、その中でも日本籍者と欧米系白人の子供を指す場合が多かった(ただし、現在でも単に「ハーフ」と言った場合は大抵このパターンを指す)。白人以外との「ハーフ」は、人種や国名を前につけて表現される場合が多い。 日本において特に社会的に注目されるようになったのは、戦後、イギリスやアメリカなどの連合国軍兵士との間に生まれた人々(GIベビー)である。当時は「混血児」や「あいのこ」と呼ばれ、その母親が水商売や当時パンパンと言われる売春婦を行っている場合のみならず、占領軍施設や占領軍向けの小売店などで働く女性が、兵士と自由恋愛の末に出産をしたケースも含めて、周囲から差別やいじめを受けた。特に黒人との間に生まれた人々は、肌の色が一般の日本人から大きくかけ離れていることもあり、一般の日本社会から差別やいじめを受けたり、排除されたりする傾向が顕著であった。 やがて、差別やいじめの起因となることから「混血児」という呼称の使用は避けられるようになった。1972年、沖縄県が日本政府の施政下に戻ったとき、ここでもアメリカ人の間に生まれた混血児が注目された。以降、軍事基地と関わる社会問題として語られることが多く、その文脈で語ることは沖縄の当事者にとって不名誉な烙印ともなっている。 1980年代初頭には、無国籍問題などで注目されたが、1984年の国籍法改正により、無国籍問題として注目されることはなくなった。1980年代以降、国際結婚で生まれた子供ということから、一部から「国際児」という呼称も使われ始めるが、現在は教育学の研究者が主に用いている。 1990年代に入り、「ハーフ」という呼称の語源に「半分」という意味があることから、差別用語ではないかとの意見が現れた。そして、2つのルーツを持つという意味から「ダブル」という呼称を採用しようとする動きが一部の親などから出始めた。しかし、「ダブル」と言う呼び方は、「実際には一つの文化のもとに育った人や、3つ以上のルーツを持つ人に当たらない表現である」と考える人も多い。また「二倍の存在であるとはおこがましい」という指摘もあり、実際「ダブル」に該当する酒井高徳は自著『W~ダブル~ - 人とは違う、それでもいい -』を出版した際に「おこがましいかもしれないけれど」と断りを入れている。 1998年、沖縄県にアメラジアン・スクール・イン・オキナワ(AASO)が出来たことにより、それ以降、在日米軍の関係者と地元女性との間に生まれた子供について「アメラジアン(アメリカン+アジアン)」と呼ばれることがあるが、これも特別な呼称を付けること自体に批判がある。なお、「ハーフ」と呼ばれる人を片親に持つ人は「クォーター (混血)(quarter)」とも呼ばれる。同様に「ワンエイス (混血)(one-eighth、8分の1)」、「ワンシックスティーンス(one-sixteenth、16分の1)」という呼び方もある。
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