日本硬質陶器
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 11:10 UTC 版)
「ニッコー (洋食器)」の記事における「日本硬質陶器」の解説
創業社の日本硬質陶器株式会社は、明治中期に、九谷焼製造業者の林屋次三郎、石川県立工業学校教諭の友田安清と吉村又男、九谷焼窯元の細川善六の4名により硬質陶器(1200~1300度の高温で焼いた陶器)の開発が始められ、1905年に能美郡国府村鍋谷で適した原料を発見し焼成に成功、1906年に合名会社林屋組を設立して製造販売を開始したところ好評を得て需要が拡大したため、前田候と県下の有力者らが林屋組を買収する形で事業拡大し、1908年に日本硬質陶器株式会社として発足した。「ファイアンヌ」の名で軍や学校、病院、工場、旅館をはじめ、和洋食器として広く普及した。 創業者の林屋次三郎は宝暦年間に金沢で創業した茶店「林屋」の三代目当主・林屋新兵衛の次男として生まれ、若くして店を構え九谷焼の改良に努め、1902年の内国勧業博覧会に出品したほか、ベルギーでの万国博覧会では名誉大金牌を受けた。その後輸出向け製品の開発を模索する中で、同郷の大阪商船社長中橋徳五郎より英国ジョンソン・ブラザーズ社(en:Johnson Brothers)の皿を見せられて製造を勧められ、硬質陶器「フィアンス」の開発を始めた。
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