河合鉱山
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/15 20:44 UTC 版)
日本硬質陶器株式会社(現・ニッコー株式会社)への原料供給のため1916年(大正5年)に採掘が始まった鉱山である。当時は同社が直接採掘していたが、1934年(昭和9年)ごろ不況により採掘から手を引き、地主の出口氏に採掘を任せるようになった(1950年(昭和25年)に「河合鉱山株式会社」設立)。のち、陶石の需要が増大し、金名鉄道を利用して名古屋方面へも出荷するようになった。第2次世界大戦中はロケット兵器の燃料容器の原料としても利用された。当駅構内には河合鉱山から索道で送られる陶石の積み込み施設があった。 戦後はむしろ衛生陶器の原料として大いに利用されており、一時期は国内の衛生陶器原料の60~70%が河合陶石をふくむ石川県産の陶土であったともいわれる。 なお、同様に陶土の一大産地であった服部鉱山(服部駅の項参照のこと)とは町村の境で接しているが、両社は紳士協定を結んで境界を残して採掘を進めている。
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