河和水野家(戸田流)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 14:39 UTC 版)
河和城(愛知県美浜町河和字西谷)主戸田守光と水野信元の娘、妙(総心尼とは姉妹となる)との子光康を祖とする。天正18年(1590年)、父守光は秀吉旗下として参加した小田原征伐で討死。夫の死後、剃髪した母妙源尼と共に、江戸で伝通院の庇護を受ける。慶長2年(1597年)母方の姓を名乗って水野光康となり、家康より700石の知行を与えられる。慶長6年(1601年)河和郷に復して1,460石を与えられ、後に尾張藩士となる。同じく子孫は尾張藩に仕え、幕末に至るまで旧河和城下に屋敷(河和屋敷と呼ばれていたらしい)を持っていたという。
※この「河和水野家(戸田流)」の解説は、「水野氏」の解説の一部です。
「河和水野家(戸田流)」を含む「水野氏」の記事については、「水野氏」の概要を参照ください。
- 河和水野家のページへのリンク